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2014年1月28日 (火)

慶喜は「ケイキ様」と呼ばれるのを好んだ

Yosinobu   (徳川)慶喜を「ヨシノブ」と読むことは小学生でも知っている。だが手元の漢和辞典で「慶」を調べても「ケイ」「キョウ」とはあるが、「ヨシ」とは出ていない。人の名前に使われる特別な読み方を、「名乗り(なのり)」という。頼朝、正成、家光の朝(トモ)、成(シゲ)、光(ミツ)も特別な読み方である。「お言葉ですが…」で知られる高島俊男もなぜ「朝(とも)」と読むのか分からないと書いている。つまり名乗りは長い間の慣用的な読み方でいまでは理由を説明することは学者でも困難な場合が多い。現行法では人名に使用する漢字は制限されるているが、読み方は戸籍に記載されないから、自由に読んでよいとされている。徳川慶喜は現行の法体系以前の人物だから、関係ないのだが、仮に、現在でも「慶喜」と書いて「ヨシノブ」と読ませることに、何ら支障はない。ただし、読みは自由といっても、100人のうち99人までが読めない命名は避けたほうがいい。人名読み方の基本や名乗り事典にある範囲内にとどめるべきだろう。ちなみに徳川慶喜自身は「けいき様」と呼ばれることを好んだといわれる。「ヨシノブ→世忍ぶ」という音韻連鎖を嫌ったのだろうか。 

    NHK大河「八重の桜」鳥羽伏見の戦い。敗色濃厚と知った慶喜は戦わず江戸に逃げる。敗戦の責任は慶喜の江戸帰還を進言した神保修理ひとりが負い自害する。

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