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2014年1月28日 (火)

山田長政400年

Funaema6

   慶長17年(1612)、山田長政22歳のとき同郷の貿易商人に頼んで朱印船に乗りシャムに渡ったと言われる(慶長16年説ほか有り)。長政は多くの功をたて、国王ソンタムの信任を得た。1628年11月、ソンタム王の死後に起こった内乱に、長政は反乱軍を鎮圧し、王子を即位させたが、その後、王族の1人で王位を狙うオヤ・カラホムは長政を遠ざけるため辺境のリゴール(六崑)の太守に任じた。1628年、長政は任地に赴いたが、パタニ軍と対戦して負傷した。傷口に塗った毒薬のため、1630年夏に死亡した。だが長政に関する日本側の記録には一級史料は少ない。死後だいぶん経過した伝聞が多い。タイ側の史料にでてくる官職名「オークヤーセーナーピムック」(Oya Senaphimok)を授けられた日本人を山田長政と見なしているだけである。1983年には朝日新聞に「山田長政は実在したか」(矢野暢)という記事が出た。矢野は日本の南進政策によって作られた虚像としている。だが最近タイでも「ヤマダ アユタヤの侍」(2010年)という映画も作られた。生地の沼津でも山田長政ゆかりの催しが検討されているのだろうか

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