雍正帝と太子密建法
康熙帝は早く皇太子を定めたが、皇太子をめぐる党派争いが激しく、ついに廃太子するにいたった。このような皇帝位争いのなかから雍正帝が1722年に即位するが、翌年、皇帝は皇太子を決定するがその名前は公表しない。皇太子名を書いた紙を小箱に入れ、乾清宮の玉座正面に掲げられた「正大光明」額の裏に置く。一方、密旨を内務府に蔵して、帝の没後これを開封して両者を照合するという方法を定め、皇太子決定の弊害を防ぐことにした。
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