柴野栗山と玄武洞
柴野栗山の1807年の忌日。兵庫県の北部、豊岡に柱状節理の洞窟で知られる玄武洞がある。玄武岩の命名者は寛政の改革で松平定信の政治顧問としてしられる江戸時代の儒官・柴野栗山(1736-1897)である。栗山は文化4年にこの地を訪れ、中国の空想上の動物「玄武」の甲羅に似ていることから命名したという。明治17年、小藤文次郎(1856-1935)が、ここから採れる石に玄武岩の訳名を用い、学名として定着した。それにしても、なぜ高齢の江戸の儒者が但馬の地を訪れたのであろうか。江戸時代、播磨の医師、香川修徳(1683-1755)が「海内一」といい、城崎温泉は賑わいをみせており、湯治のため立ち寄ったと思われる。だが、同年の暮れに栗山は72歳で没している。
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