白秋の妻・江口章子
江口章子(えぐちあやこ 1888-1946)は歌人であり、北原白秋の二番目の妻として知られている。明治21年、大分県西国東郡香々地町(当時は岬村といったが現在は豊後高田市香々地)で江口家の三女として生まれた。江口家は大阪通いの鉄の貨物船まで持った米屋と酒造業だった。章子は弁護士の安藤茂九郎と結婚し、福岡県柳川町へ移ったが、夫の放蕩に嫌気がさして離婚。大正4年、青鞜社に入り、生田花世の夫・生田春月の紹介で北原白秋(1885-1942)に出会う。
北原白秋はその頃「邪宗門」「思ひ出」で詩人として輝かしい地位を占めていた。ところが明治45年に隣家の人妻・松下俊子(福島俊子)と恋に落ち、その夫の新聞カメラマン・松下長平から姦通罪で告訴され、拘置される事件が起きた。白秋は福島俊子と後に結婚するが、二人の仲は長く続かなかった。
江口章子は白秋の離婚を待って、大正5年から同棲しはじめ、大正7年に入籍した。章子と白秋の結婚生活は僅か5年に満たないものだが、何度も転居を繰り返しながら、白秋の文学活動は充実した時期であった。とくに大正7年に鈴木三重吉が児童文芸誌「赤い鳥」を創刊するが、白秋は童謡において新境地を開くが、妻章子の影響が大きいといわれている。
大正5年5月、二人の最初の新居は、千葉県東葛飾郡真間の亀井院の庫裏であった。7月には隣の南葛飾郡小岩村三谷(現・江戸川区)に移り、ここで1年2ヵ月を暮らす。ここを「紫煙草舎」と呼んだ。大正7年、小田原十字お花畑に転居。秋には小田原天神山の浄土宗伝肇寺に寄寓。大正8年夏には、伝肇寺の東側に「木兎(みみずく)の家」と方丈風の書斎を建てる。大正9年、木兎の家の隣接地に赤瓦の三階建洋館の建築を巡って二人にいさかいが起こり、離婚する。
白秋との離婚後の章子の人生はじつに波瀾に富んだものであった。章子は大正11年8月、京都府下綾部の郡是製糸に入社する。もともと青鞜社にいたこともあり、京都の水谷長三郎(1897-1960)、山本宣治(1889-1929)ら社会運動家とも関係し、女工解放を叫んで、すぐに郡是を退社している。昭和になると江口章子は歌人・詩人として少しは世間に知られるようになり、「女人山居」(昭和3年)、「追分の心」(昭和9年)などを刊行している。ところが昭和6年に、京都帝大病院精神科に入院。1ヵ月後で退院するものの、その後、病気で苦しむ。昭和21年10月29日、死去。59歳。
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投稿: Julie J. Bailey | 2012年10月30日 (火) 20時07分