ルネサンスの貴婦人イザベラ・デステ
15世紀イタリア、フェラーラ公の長女イザベラ・デステ(1474-1539)が1490年マントヴァ侯フランチェスコ・ゴンザーガに嫁いだのは16歳のときだった。1499年、フランス軍はイザベラの義弟ロドヴィコのミラノ公国を滅ぼした。ミラノからやってきたレオナルド・ダ・ヴィンチがイザベラの肖像を描いたのは翌年の1月か2月のことであった。そこで少なくとも2点以上のデッサンをしたといわれる。そのときイザベラはちょうど妊娠中であった(長男フェデリコ)マントヴァにはすでにマンティーニャという宮廷画家がいたので、もう1人の宮廷画家を置くことができなかったが、イザベラはレオナルドが気に入り、1506年までに何度も絵の注文をしている。ルーヴル美術館にあるイザベラの横顔の肖像デッサンは「モナ・リザ」によく似ている。レオナルドはこの肖像デッサンをもってマントヴァを去っているということは、それをもとに油彩画を描くつもりがあったと考えられる。その持ち去ったデッサンが、あの「モナ・リザ」と呼ばれている像によく似たものであったのではないか、という想像をめぐらす。プリマ・ドンナ・デル・モンド(世界第一等の女性)といわれたゴンザーガ侯妃イザベラ・デステこそあのモナ・リザではないかという説もある。
結婚してまだ間もないころにフランチェスコ・フランチャに描かせた肖像画をもとに、ティツィアーノに1534年から1536年まで頃に複製させたという。
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