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2013年12月 8日 (日)

鳥取砂丘と民謡「貝殻節」

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    今でこそ全国的にもよく知られている民謡「貝殻節」であるが、戦前はほとんど知る人はなかった。「浜村貝殻節」は昭和8年、浜村温泉をPRするためレコードに吹き込まれた。しかし「貝殻節」が全国に広まったのは、昭和27年、朝日放送全国民謡大会で第1位になったからだという。貝殻節踊りも昭和8年には振り付けがなされたものの、戦時中はすたれ一時は忘れさられたが、昭和22年に再振り付けがなされたものである。

    もともと「貝殻節」は、山陰沖に発生した帆立貝を獲る漁をした漁師たちが歌った労働歌がもとになっている。記録によると、文政7年(1824年)に中国に帆立貝を大量に輸出したとあるから、それ以前から帆立貝の乾し身を産業としていたのであろう。また、「天保5年(1834年)、青谷海岸に帆立貝が集まる」と年表にもある。鳥取県の沖合いでは10年とか20年に1度、帆立貝(イタヤ貝)が大量に獲れた「貝殻年(帆立年)」があった。明治になってからは、明治10年、明治21年、明治22年、明治34年、明治35年、大正14年、昭和4年が貝殻年である。帆立貝を獲ることはほねのおれる仕事で、ジョレンという馬鍬のようなものを海の底に沈め、舟の櫓を漕いで底引きするのである。それで「なんの因果に貝殻漕ぎなろうた」と自虐的に歌うのである。因幡国の城主・亀井武蔵守に仕える若い侍がこの海辺にきたとき、帆立貝を採取する娘に見とれて、つい武士の身分を捨てて漁師となり、その因果で歌が生まれたという説もある。

    最近では、吉永小百合の「夢千代日記」の中でも芸者が座敷で歌い踊るシーンが出てくることから、ますます「貝殻節」が全国的に知られるようになっている。ところがドラマは兵庫県の湯村温泉が舞台なので「貝殻節」を鳥取県と思わない人もいるのではないだろうか。吉永はCDで「浜唄と貝殻節」という歌を吹き込んでいる。早坂暁が山陰に取材をしたとき、湯村にいい民謡がなかったので、鳥取の民謡を使ったのだろうが、東京の人からみると兵庫県の北部も鳥取県も山陰で、あまり違いを感じないないのだろうか。

   「貝殻節」の歌詞には、異なるものが多数存在する。

  なんの因果に 貝殻漕ぎなろうた

  (カワイヤノー カワイヤノー)

  色は黒うなる 身はやせる

  (ヤサホー エイヤー ホーエヤエー

  ヨイヤサノサッサ エンヤノエーエ)

   なお、貝殻節は浜村だけで歌われていたものではない。二番の歌詞「♪浜村沖から貝殻が招く」というところを、青谷では「青谷沖から」と歌い、賀露では「賀露の沖から」、泊では「泊沖から」と歌う。

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コメント

先生、こんにちは。
貝殻とはホタテやったんですか。ブラジャーにもなりますね?ボッカ(馬鹿)チオ~。

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