世阿弥と佐渡
絶海の孤島に流された歴史上の人物は幾多いるが、能の大成者、世阿弥もその一人である。世阿弥は今でこそ後世の文化・思想への影響から高い評価を得ているが、その著書「十六部集」が発見されたのは1883年のことであり、それまでは能楽師の間でもほとんど忘れた存在だった。1374年、足利義満の前で舞い、認められ、また関白二条良基にも気に入られてた。やがて猿楽を室町時代の代表的芸能にまで道をきわめた。ところが将軍が義教の代になり、1434年、71歳の世阿弥は突然、佐渡に配流されることになった。義教のどういう忌避にふれたかわからないが、世阿弥の配流は「金島書」によりかろうじて解るだけで、公的記録に佐渡遠流のことは一切ふれていない。その後は許されて都に帰ったのか、そのまま佐渡で最期を迎えたのか詳しいこともわからない。
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