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2013年12月 2日 (月)

「暗室」いま男は子宮に帰る

  映画好きの母がよく日活といっていたのは、戦後の日活アクション映画ではなくて、戦前・戦中、山中貞雄、稲垣浩、内田吐夢、田坂具隆、島耕二らの名監督を配して時代劇から文芸名作までを連発していた時代の日活であろう。昭和58年の浦山桐郎「暗室」(清水紘治、三浦真弓、木村理恵、芦川よしみ)は創立70周年記念作品である。

  日本で最初の撮影所は吉沢商店の河浦謙一が映画事業を拡張して、明治41年、目黒の行人坂に建てた目黒撮影所グラス・ステージである。大正元年9月には、この吉沢商店と梅屋庄吉(エム・パテー商会)、横田永之助(横田商会)、田畑健造(福宝堂)の4社が合併して日本活動写真株式会社(日活)が誕生した。大正2年、向島撮影所が開所した。圧倒的に人気のあったのは目玉の松ちゃんの愛称で知られた尾上松之助の京都のチャンバラ映画であったが、向島撮影所からも、のちの巨匠、溝口健二、衣笠貞之助、稲垣浩などの人材を輩出している。震災により向島撮影所は壊滅するが、京都の撮影所から名作が続々生まれる。村田実「清作の妻」、溝口健二「日本橋」、伊藤大輔「忠次旅日記」などである。大河内伝次郎、岡田時彦、入江たか子、夏川静江、岡田嘉子などのスターがいた。戦後、日活は川島雄三、鈴木清順、今村昌平、浦山桐郎などの鬼才、異才の監督を育てた。昭和46年7月、日活は事実上倒産したが、低予算映画のロマンポルノ路線で再活動した。はじめロマンポルノは世間から軽蔑されていたが、昭和47年の神代辰巳「一条さゆり・濡れた欲情」から映画評論家から評価されるようになった。吉行淳之介の原作「暗室」は寡作作家の浦山によって見事に映像化された。

    官能的文学を得意とする中年作家・中田は妻の事故死という疑惑に満ちた過去を引きずりながら、華道の師匠、パトロンのいる女、レズビアンの女らとの多彩な女性関係を結び続ける。そして、濃密な情事の果てに、中田と訣別していく愛すべき女たち…。男にとって限りない「暗室」である女を追い求め、深い官能に浸りながら、いま男は子宮に帰る。この時代、「女性上位」という言葉がよく使われたが、浦山監督も意識していたらしい。「日活」「にっかつ」はその社会的な役割を果たし終えて消えていくのであろう。

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撮影現を訪れた吉行淳之介(中央)

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コメント

日本の名優清水紘治と日本の名監督浦山桐郎ですか。mist

清水紘治の悪役を拝見したことがあります。typhoon

いつも楽しく拝見しております。いまCSで放送していますね。「キューポラ」で名高い浦山監督が撮っていたとは驚きでした。

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