河村瑞賢「小田原での決心」
河村瑞賢(1618~1699)。近世初期の商人、海運、治水の功労者。伊勢の貧家に生まれ、江戸で材木商となり、明暦の大火で巨利を得て、以後、幕府、諸藩の事業を勤める。洪水の多発する淀川を改修させたほか、海運航路を東回り、西回りの両方とも整備させた。これにより、日本海側の米の大部分は大阪に集中するようになり、大阪は「天下の台所」といわれるようになった。
瑞賢13歳の時に、江戸に出たが運命は開かなかった。そこで上方へ行こうと東海道を小田原まで来た。そこの宿屋に宿泊していた一老翁と談話し、老翁は笑って。日本の中心である江戸を去って上方に行くのは間違っている。お前の骨相を見ると、大いに成功する相があるから、江戸に帰って努力せよ、といった。瑞賢はこの老翁の言を信じて、江戸に戻ることとし、品川まで帰った。その時は7月の盂蘭盆の後であって、精霊にそなえた瓜、茄子が捨てられてあった。そこで乞食にわずかの銭を与えて拾い集めさせて、古桶を買って塩漬けにし普請場の労夫に売り歩いた。かなりの利益を得て、こうして漬物を売るあいだに、役人と知り合いになり、その信頼をえて人夫頭となったが、やがていつしか材木商を営むまでになる。瑞賢の成功の第一歩は捨てられていた野菜であった。
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