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2013年11月20日 (水)

「赤壁の戦い」はどこまでが史実か

    208年のこの日、曹操軍が揚子江の赤壁で孫権・劉備の連合軍に敗れた。赤壁の戦いは中国戦史上、最も有名な戦役のひとつである。この戦役の結果、魏、蜀、呉の国が天下を三分して鼎立するようになった。208年秋、20万の大軍を率いて曹操は南征した。これに対して孫権と劉備は同盟を結んで曹操と対決することにし、周瑜を総司令官に任命した。周瑜は、3万の水軍を率いて赤壁で、曹操の水軍に火攻めをかけ、一戦にして打ち破った。この有名な三国志の物語をアジアの人気俳優が競演するというジョン・ウー監督の映画「レッド・クリフ」が話題となった。魏の船団は、船と船を鉄のくさりで連結しているので、降伏を装って呉将黄蓋軍が火船を衝突させるという火計を企てる。ところが、真冬のため、東の風が吹かない。諸葛孔明は高台を築き風を祭って、東風をよび、火は風にあおられて曹操軍は敗走する。後世、この崖が火で赤くそまったため、赤壁という名がつけられたという。だがこういった話はほとんど後世のつくり話で、史実は映画のようなものではないらしい。曹操の陣営に疫病がはやったため、自ら軍船を焼いて北へ引き上げたという。その理由として①赤壁の戦いのあと、周瑜の地位は上がらず、加封もされていない②孔明の「後出師の表」の中で、過去に曹操が喫した敗戦を数々上げているが、その中に赤壁の戦いが出てこない③「資治通鑑」には「赤壁の戦いの1年後に、曹操が周瑜に投降するように認めさせた」との記載がある、などの理由から曹操は赤壁の戦いで敗れたのではないと考えられる。

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こんにちは。何時も読ませて頂いてます。難しいですが頑張っています。分野が沢山あるので尚更楽しいです!!是非続けて下さい!

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