西晋最後の皇帝、愍帝(びんてい)
316年のこの日、西晋が滅亡した。前趙の劉聰のために洛陽がおとしいれられ(永嘉の乱)、西晋の懐帝は殺された。愍帝は推されて長安に即位した(313年)。しかし、その兵力は微々たるもので、315年、前趙の将軍劉曜らが長安にせまり、愍帝は降伏した。前趙は愍帝を光緑大夫、懐安侯に落とし、趙帝劉聡の出猟には戟をもって先導をさせ、また、宴会には酒をつぎ杯を洗う賤役につとめさせた。316年、愍帝は殺され、ここに西晋(265-316)は滅んだ。
316年のこの日、西晋が滅亡した。前趙の劉聰のために洛陽がおとしいれられ(永嘉の乱)、西晋の懐帝は殺された。愍帝は推されて長安に即位した(313年)。しかし、その兵力は微々たるもので、315年、前趙の将軍劉曜らが長安にせまり、愍帝は降伏した。前趙は愍帝を光緑大夫、懐安侯に落とし、趙帝劉聡の出猟には戟をもって先導をさせ、また、宴会には酒をつぎ杯を洗う賤役につとめさせた。316年、愍帝は殺され、ここに西晋(265-316)は滅んだ。
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