足摺岬へ行ったことがなかった田宮虎彦
田宮虎彦の足摺岬文学碑には、小説の一節「砕け散る荒波の飛沫が崖肌の巨巌いちめんに雨のように降りそそいでいた」が刻まれている。小説では主人公は二度、足摺岬を訪れている。一度目は大学時代の自殺行である。二度目は、それから17年か18年後の妻・八重の墓参りに足摺岬を訪れている。石碑の文章は小説の後半部分にある妻の八重と若い時代の雨の日の自殺未遂を回想するところで登場する。田宮の父は高知市で母は香美郡香宗村の出身で、高知は何度も帰省している。だがあの名作「足摺岬」を書くまで一度も足摺岬へ足をのばして旅行していないらしい。当時すでに足摺岬は自殺の名所として知られていたので、小説の舞台に一番ふさわしいと考えたのであろう。田宮が足摺岬を訪れたのは小説を書いてだいぶんたってのことである。
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