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2013年11月24日 (日)

白昼の死角

1949年のこの日、金融業者「光クラブ」社長の山崎晃嗣(1923-1949)が自殺した。この事件をモデルとした映画「白昼の死角」(村川透監督、1979年)は高木彬光の同名の小説を映画化したピカレスク・ロマン。戦後の混乱が続く昭和23年。東大生の隅田光一(岸田森)は鶴岡七郎(夏八木勲)、木島良助(竜崎勝)、九鬼善司(中尾彬)らと金融会社「太陽クラブ」を設立する。しかし闇金融疑惑で隅田は検挙され焼身自殺を遂げる。同志の非業の死を見た鶴岡は復讐を誓う。現行の法律の死角を突く完全なる経済犯罪者として鶴岡は蘇る。

    高木は昭和34年「黄金の死角」として「週刊スリラー」に連載したが、翌年カッパブックスに「白昼の死角」として改題し刊行した。小説の序盤に登場する隅田光一のモデルが山崎であることはよく知られている。ほかにも山崎をモデルにした小説としては、三島由紀夫「青の時代」、清水一行「産業集団」、北原武夫「悪の華」、田村泰次郎「大学の門」など多数あるが、高木作品が成功例といえるだろう。

    山崎晃嗣は大正12年、木更津に生まれた。父は市長を勤める医者の長男。木更津中学、一高、東大と進み、大学時代には17科目に優、3科目だけが良という秀才だった。この抜群の頭脳を生かして日医大3年生の三木仙也らと闇金融「光クラブ」を設立して、インフレに苦しむ中小企業に金貸しをはじめた。しかし昭和24年11月、資金繰りに困り、「貸借法、全て清算カリ自殺」と遺書を残して服毒自殺した。

    山崎は、翌日の行動プランを分刻みに記録していたというほど几帳面な性格であった。自分の合理主義をもって時代に挑戦することにあった。「人生は劇場だ。僕はそこで脚本を書き、演出し、主役を演じる」いわば劇場型人間。もっとも高木彬光「白昼の死角」では主役ではなく脇役である。山崎晃嗣は戦後社会が生んだアプレ・ゲールの典型であるが、山崎のエピゴーネンともいえる村上世彰、堀江貴文など現在においてもしばしば登場する。これまでも山崎の日記は出版されているが、大学ノート3冊に書かれた昭和21年ごろの日記が神田の古書店で出品され、いま話題になっている。

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