楫取美和子(かとりみわこ)
2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で井上真央が吉田松陰の妹の文(ふみ)を演じる。吉田松陰には4人の妹がいる。長女が千代(1832-1924)。二女が寿(ひさ,1839-1881)小田村伊之助(楫取素彦、小田村素太郎)と結婚。三女が艶(つや,不詳ー1843)早世。四女が文(ふみ,1843-1921)。松陰の一番下の妹である。文が16歳の安政6年、松陰は伝馬町で獄死し、元治元年、夫の久坂玄瑞が京都で自害する。明治15年頃、楫取素彦と再婚。大正10までの79年間の波乱の生涯はドラマチックである。名前は杉文(すぎふみ)→久坂文→小田村文→楫取文→楫取美和子と変遷する。
また二女の楫取寿子(久子)のことが、浜口恵璋著「新妙好人伝」(1899年)に詳しく書かれている。高杉晋作が亡くなったあと野村望東尼を親身に世話している。母の瀧子(1807-1890)も長命でドラマの中心となるであろう。よってドラマは文だけでなく、吉田家、杉家、玉木家、児玉家、小田村家など家族たちの幕末明治群像となると思われる。
なぜ「八重の桜」の山本八重の似たヒロインを選んだのか。もちろん吉田松陰は幕末・明治維新の精神的指導者として近代日本史の重要人物のひとりである。徳富蘇峰や奈良本辰也の名著でも良く知られている。戦前・戦後山口県出身の総理大臣が多いのも松陰の影響といえなくもない。伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、菅直人の9人。しかしなぜ今さら松陰なのか?松陰は純粋な尊王攘夷論者であっても、松陰は19世紀のナショナリズム高揚の人物であり、21世紀にそのまま適用される人物像でない。松陰を賞賛する大物政治家がNHKを動かした背景があるように思えるが、いささかアナクロニズムにみえる。
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