甲斐庄正親
1683年1月、本郷駒込の八百屋お七の放火事件は史実ながら、虚構が流布し諸説ある。例えば、お七の情人を小野川吉三郎とする説がある一方、山田佐兵衛、生田庄之介説もある。お七を裁いた奉行は誰か?お七の裁きのおけるやりとりは芝居の見せ場でもある。お七は16歳になったばかりであったことから(15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならない)、甲斐庄正親(南町奉行、生年不詳-1691)が哀れに思い、お七の年齢確認において死刑を回避すべく「お七、お前の歳は十五であろう」と聞いたものの、彼女が正直に16歳であると言ったため、正親は自らの意図が理解できていないと思って重ねてお七に年齢を問いただすも、彼女は正親の意を汲むことができず、再び正直に16歳だと答え、さらにお宮参りの記録を証拠として提出したため、正親は、お七を定法どおりの裁きによって火刑とせざるをえなくなってしまった。NHK木曜時代劇「あさきゆめみし~八百屋お七異聞」お七は無実の吉三郎を救いたい一心で奉行所に吉三郎のアリバイを訴える。青田源之丞や中倉頼母(2人とも架空名)らはお七が乱心したとして八兵衛に連れ戻させる。当夜。勘蔵が吉三郎を密告したことをお七は知り、自責の念から「自分が放火した」と申し出る。つまり三角関係のもつれからウソの証言をお七はしたという設定となっている。お七を裁いたのは、南町奉行の甲斐庄正親とする説がある一方、中山勘解由(中山直守、1633-1687)とする説もある。
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