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2013年11月19日 (火)

かにかくに忌

Yosii    1960年の吉井勇の忌日。京都祇園白川のほとりにあったお茶屋「大友」の女将・磯田多佳(1879~1945)は明治12年、お茶屋「大友」に生を受け、21歳で落籍されるも、相手に先立たれ、再び芸妓となる。和歌・書道・三味線・絵画を嗜み、夏目漱石、吉井勇、谷崎潤一郎、高浜虚子、志賀直哉、浅井忠、横山大観などの芸術家たちと交流が深く、「文学芸妓」と呼ばれるようになった。

    明治43年の春、25歳の吉井勇は、懐中が乏しいにもかかわらず、祇園にあこがれて京都へ来た。転がり込んだ先は三高教授で歌作の先輩、茅野蕭々の宅だった。茅野はこの遊蕩歌人を岡本橘仙・金子竹二郎に引き合わせた。吉井は金子に伴われて宵の祇園へ歩をはこんだ。東京に帰った吉井はさっそく、『スバル』6月号に「京都より」と題した数首の短歌を発表した。

    かにかくに祇園はこひし寝るときも

       枕のしたを水のながるる

   太平洋戦争末期、京都では空爆による市街火災を局所におさえようとする苦肉の策から、各地で家屋が強制撤去された。「大友」も強制撤去により消滅し、多佳はその二ヵ月後に他界した。

吉井勇の多佳女への追悼歌

    年ごとに君がこのめる紫陽花の

       花は咲けども多佳女世になし

谷崎潤一郎の追悼歌

    あぢさいの花に心を残しけん

       人の行方も白川の水

   かにかくに歌碑は昭和30年11月8日に吉井勇、谷崎潤一郎らによって建立された。この日を記念して祇園では毎年「かにかくに祭」が行われる。ことしは吉井勇の没後50周年にあたる。祇園や吉井勇記念館のある高知県香美市では記念行事が盛大に行われている。高知の猪野々地区は昭和9年から3年間、隠棲生活を送り再起した土地。谷崎潤一郎も記念館が短期間在住した兵庫県芦屋市にあるが、事情は似ている。

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