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2013年10月 3日 (木)

ブルマー栄枯盛衰記

Photo_8   「東洋の魔女」の主将、中村昌枝(旧姓・河西)さんが3日、死亡した。2020年の東京五輪決定のときは元気だった。女子バレーといえば黒いブルマーだが、最近ほとんど見なくなった。なぜブルマーが消えたのか?ブルマーは1851年アメリカの女性解放運動家アメリア・ジェンクス・ブルマー(1818-1894)が女性の運動しやすい服装として考案した(近年ブルマーの真の考案者はエリザベス・スミス・ミラーであるといわれている)。これが1880年代にアメリカの私立学校で運動着として使用された。日本では明治時代に女学校で導入され、戦前ではほとんどの学校現場に普及していった。当時のブルマーはピタッとしたものではなく、「ちょうちんブルマー」といわれた、ゆったりとした形状であった。ブルマーの歴史でエポックメイキングな事件が1964年の東京オリンピックであった。東洋の魔女の女子バレーたちは、ゆるめのブルマーであるのに対し、ソ連をはじめ各国の代表チームが、ピタッとしたシルエットの化学繊維のブルマーを穿きこなしていた。東京オリンピックの後、次第に女性的な美しさを求めた、ピタッとしたシンプルなデザインのブルマーが開発された。1970年から80年代はブルマーの黄金時代であった。小中高だけでなく、女子大・短大などでもブルマーが着用されていた。これに対して、一部からは「恥ずかしい」という意見もあったものの、校則に反することはできず、がまんしていたようである。1990年代になって「ブルセラショップ」などが問題化すると、女子学生に性的被害をもたらす一因としてブルマーがあげられるようになった。つまりブルマーが「性の嗜好品」として扱われることに対して、女性側からの反発や、社会からの疑問の声が高まり、過剰反応が起こり、2000年代に入るとブルマーは教育現場からはほぼ消え去り、2005年についに絶滅してしまった。(Amela Jenks Bloomer)

参考:中嶋聡「ブルマーはなぜ消えたのか」2007年

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