赤シャツと野だいこ
「あいさつをしたうちに教頭のなにがしというのがいた。これは文学士だそうだ。文学士といえば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のようなやさしい声を出す人だった。もっと驚いたのはこの暑いのにフランネルのシャツを着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いにはきまっている。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人をばかにしている。あとから聞いたらこの男は年がら年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があったものだ」
勧善懲悪小説 「坊っちゃん」に登場する教頭赤シャツは、昭和に至っても学園ドラマでは校長を追放する悪玉として欠かせない存在だ。「青春とはなんだ」の山茶花究、「これが青春だ」の藤木悠、星十郎、「進め青春」の平田昭彦、そして極めつけは「飛び出せ青春」「われら青春」の穂積隆信、柳生博のコンビであろう。
このような悪玉教頭のモデルとされた横地石太郎先生(右画像)には誠にお気の毒としかいいようがない。横地先生は金沢藩士出身で、東京帝大理科を卒業後、明治28年頃は松山中学の教頭であった。明治32年にはしし座流星群を観測、明治33年には周桑郡吉岡村の古墳の発掘調査をしている。明治40年には山口高等商業学校の校長をつとめた。赤シャツは「人類学雑誌」にも論文を多数寄稿する考古学者だった。ところで、赤シャツのモデルは近藤英雄「坊ちゃん秘話」(昭和60年)によれば、西川忠太郎、沢幸次郎、中村宗太郎、横地石太郎など複数の人物が当てられた。通説では赤シャツ=西川忠太郎であったが、近年に「赤シャツと考古学」展(愛媛県立歴史文化博物館)が開催されて以来、今日では赤シャツ=横地石太郎に比定されているようである。
「野だいこ」とは「野太鼓」「野幇間」と書く。たいこもちをする男という意味であろう。モデルは高瀬半哉画伯。「昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、だいぶご精励で。とのべつに弁じたのはあいきょうのあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。ぺらぺらした透綾の羽織を着て、扇子をばちつかせて、お国はどちらでげす、え?東京?そりゃうれしい、お仲間ができて…私もこれで江戸っ子ですと言った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生まれたくないもんだと心中に考えた。」高瀬半哉先生も松山中学から東予分校に転任した名物教師だった。
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西川忠太郎のひ孫です(笑)、まじです。
常にえび茶色の服着てたのでモデル候補にあがっていたようですねぇ。
ちなみに、忠太郎の息子すら、モデル説を長いこと知りませんでした、ある日、研究家から手紙が来て、びっくりしたのを覚えてます。(笑)
投稿: 西川○○ | 2008年2月 9日 (土) 20時41分
「坊っちゃん」作中人物のモデルのご子孫の方にこの記事を読んでいただき感謝しております。コンサイス日本人名事典にも赤シャツが収録されています。「四国の中学校の教頭で女のような声を出し、年中フランネルの赤シャツを着ている。英語教師うらなりの婚約者マドンナを横どりしようとたくらみ、坊っちゃんと山嵐から天誅を加えられる」とあります。小説では戯画化されていますが、おそらく実在のご先祖さまは、ハイカラで学識のある立派な方だったと思います。
投稿: ケペル | 2008年2月 9日 (土) 23時01分