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2013年10月13日 (日)

ハルキストという迷惑な存在

Img_0049   1994年のこの日、大江健三郎のノーベル文学賞受賞が決定した。あれから19年になるが今年も日本人の文学賞はなかった。10日夜、東京のブックカフェ「6次元」に集まったハルキストたちはさすがに落胆の色は隠せなかった。いつごろからか村上春樹のファンをハルキストと呼ぶ。村上の小説やエッセイから伺える趣味や生活スタイルに影響を受けることが多い。映画・文学・音楽・料理・マラソン・水泳・猫など都会的で冷めた感じの若者をイメージさせる。とくに団塊の世代以降に多く、戦前・戦中派は村上文学などはほとんど読まない。かつて村上といえば村上元三だった。このようなハルキストの存在を村上自身がどのように感じているかは分からない。代表的ハルキストとして内田樹がいる。彼は「村上春樹は世界的に人気があるから偉い。だから普遍的で、とうぜんノーベル賞に値する」とつねづね語っている。世界中でたくさん本が売れるということと、文学としての価値があり、永遠性があるかという問題がイコールとして捉えられるかは疑問である。本がよく読まれる、売れる、商業的な成功が全てという考えにはむしろ反対する人も多いのではないだろうか。ある意味で内田のような単純な文学観を語る人は幸せなのだろう。司馬遼太郎が時代物の大衆作家から国民的文豪といわれるようになったころ、関西大学の谷沢永一がやたらと司馬をほめあげて、解説本をたくさん出すようになった。芸術家一般に売れずに必死に書いているときはいいものが生まれるが、地位と名声、お金がたまって大家になると保守的になってつまらなくなる。ハルキストや谷沢のような存在は迷惑だが、村上にとってノーベル賞をもらわないことのほうが作家として幸運だと思いたい。

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