初恋の日
1896年のこの日、島崎藤村が「文学界」46号に「こひぐさ」の一編として初恋の詩を発表した。藤村の「初恋」は近代詩の開花をつげる詩として高く評価されている。第1聯から第4聯で構成される七五調の16行からなる形式で西洋詩風の教養がみられる。「まだあげ初めし前髪の林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の花ある君と思ひけり」。吉田精一は17、18歳の成熟期に達した青年男女であると解釈している。つまりこの詩のモデルは複数の女性をイメージを合成したものという説である。そして第1聯を「出会い」、第2聯を「恋の始まり」、第3聯を「恋の成就」、第4聯を「回想」と1つのストーリーに仕立てている。このような吉田の解釈に対して、藤澤道郎は「この詩に描き出される出来事は、同じ日の同じ時間帯に生じたこと」と全く正反対の解釈をしている。藤澤は1人の女性をイメージしたとする説である。「前髪」の解釈で大きく異なるようである。前髪とは、ひたいの上方に髪を別にたばねたもので、吉田は「桃割れ」と考えている。桃割れは、前髪を高くふっくらと上げた髪型で、10代前半から後半の少女の髷に結われたものである。明治13,14年頃の馬籠で、10歳くらいの少女が桃割れをしたであろうか。島崎藤村のこの詩には実際のモデルがいた。幼なじみの大黒屋の四女で「おゆふ」という。「おゆふ」の家は造り酒屋なので経済的には恵まれていたので桃割れをしていたとしても不思議ではない。後年、藤村はおゆふに詩を贈っている。藤村に林檎を与えた少女は14歳で妻籠宿の脇本陣奥谷の林家に嫁いだ。藤村は10歳のとき東京へ引っ越している。つまり藤村とおゆふとの初恋は幼くも淡い恋であった。「初恋」の女性のモデルが複数であるのか、1人だけであるのか分からないが、言えることは学生時代からダンテを愛読していた藤村が「おゆふ」をベアトリーチェにみたてて西洋風の恋愛詩をうたったものとおもわれる。
参考;藤澤道郎「藤村の初恋」桃山学院大学人文科学研究25-2,1990年
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