背番号77ものがたり
野球殿堂博物館(東京都文京区後楽、ラクーア)には戦後のプロ野球復興期にホームランを量産して活躍した3選手の、それぞれの特徴的なバットを展示している。
川上哲治 使用「赤バット」長さ88.9㎝ 重さ850g
大下弘 使用「青バット」長さ88.9㎝ 重さ920g
藤村富美男 使用「物干し竿バット」長さ92.5㎝ 重さ980g
3選手を比較すると、現役選手としての通算成績よりも、監督としての通算成績で大きな差がある。藤村は阪神タイガースの兼任監督となったものの、1956年、一部選手から藤村の退陣要求書が出されるという事件が起きた。結局、藤村の監督寿命は短命だった。
川上の選手としての通算成績(18年間)は安打2351、打率3割1分3厘、本塁打181、打点1317。獲得したおもなタイトルは、首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回。監督としての通算成績(14年間)は、1066勝739敗61分け、勝率5割9分1厘、リーグ優勝11回、日本シリーズ優勝11回。とくに1965年から74年までのV9(日本シリーズ9連覇)は不滅の偉業である。
川上哲治の監督時代の背番号77は巨人では1963年の吉沢勝投手が最初である。1965年から川上が「16」から変更して1974年退団するまで使用した。1982年から柴田勲が「7」から変更して1985年まで使用。以下、山内一弘、淡口憲治、吉村禎章、豊田清が使用している。広島の野村謙二郎や楽天の星野仙一監督が現在背番号77を使用している。
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