「エデンの海」 清水巴
若杉慧(1903-1987)の「エデンの海」が「朝日評論」に発表されたのは戦後すぐのころである。舞台は瀬戸内海。(広島県忠海)
巡航船が白い波を駆り立てて入海に入っていくのが見える。女学校の南風寮。その窓下の塀外に、白シャツの中学生がハーモニカを吹いて、喧しく誘いに来ている。隅の方で宿題をしていた一人が、水を頭上にザブリと浴びせ、中学生が塀を壊しにかかると、彼女はほうきをもって室から飛び出していった。「巴ちゃん、だめよ…」と呼ぶ級友の声も耳にはいらないようだ。…夕焼け雲が美しい。岬の突端は、奇岩が重なって、なかでも冠岩と呼ばれる巨岩が目立つ。その上に、巴がひとり、遥かな水平線を見つめている。健康そうな顔、髪を汐風になぶらせて、唇からは南国の民謡が流れていた。足音にふり向くと、そこには、いつの間に来たのか、白麻の背広を着た青年が、じっと巴を見下ろしている。彼女はわけもなくあわてて、岩から飛び降りると駆けだしていた。
女学生・清水巴と東京から赴任してきた生物学専攻の青年教師・南条一男との恋愛を、暖かい瀬戸内海の女学校生活を舞台に描いた「エデンの海」は、石坂洋次郎の「若い人」とともに永遠の青春の文学といえる。情景が絵画的であることから、昭和24年には舞台と映画で大人気となった。舞台では、角梨枝子、千秋実、映画では藤田泰子、鶴田浩二だった。その後も、日活で昭和38年、和泉雅子、高橋英樹、ホリプロで昭和51年、山口百恵、南条豊で映画化されている。「おい、おい、おろしてくれ」と叫ぶ南条を清水巴が白い水着で裸馬に乗せて学校に乗り込んでくる場面が有名である。そしてヒロイン清水巴は江波恵子(「若い人」)、寺沢新子(「青い山脈」)とともに自由奔放な永遠の女学生像である。
若杉慧は明治36年、広島県安佐郡戸山村(沼田町)に生まれる。若杉は大正15年から昭和2年まで忠海高等女学校の教師として在職し、その時の経験をもとに「エデンの海」を書いた。昭和21年に「エデンの海」を発表後、文筆活動に専念する。晩年は石仏に心を寄せて「野の仏」「石仏讃歌」などの著書がある。
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