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2013年9月 2日 (月)

三国志の美女、貂蝉

Tyousen   貂蝉(ちょうせん)は、後漢の司徒・王允のかかえていた歌姫の美少女で、歳は16歳であった。董卓の暴政に悩む大臣の王允の苦しむ姿を見て、娘同様に可愛いがられていた貂蝉は王允に訴えた。「殿様のお役に立てるならどんなことでもいたします」その姿を見てひらめいた王允は貂蝉の前にひれ伏して言った。「天下の逆賊の董卓と養子の呂布はどちらも好色のやからゆえ、連環の計を用いようと思う」と言ってふたりは打ち合わせた。呂布は貂蝉をひと目見るなり気に入り、貂蝉も意味ありげな視線を呂布におくった。そこで王允が側室として貂蝉を輿入れさせたいと申しでたので話はとんとん拍子に進んだ。しかし、呂布はいくら待っても貂蝉は嫁に来ない。それもそのはずで、貂蝉はとうに董卓の側女になっていたのである。呂布は王允に怒鳴り込んだが、王允は董卓が貂蝉をむりやり連れていったという。呂布はこっそり、董卓の寝所に行って貂蝉に確かめると、「わたしの身は汚されてしまいました。死んでわたくしの心をお見せいたします」とけなげなことを言ったので呂布は董卓を恨むようになり、王允もけしかけたのでついに董卓を殺害したのである。呂布は、その後、李催(りかく)・郭汜(かくし)に洛陽を追われるが、貂蝉は呂布が死ぬまでついていった。

    貂蝉は羅貫中の創作上の人物であるが、その美貌は中国四大美女(西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃)の一人に数えられている。

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