上島鬼貫忌
1738年のこの日、上島鬼貫(1661-1738)は大坂で没す。享年78歳。摂津伊丹の人で、本名は平泉治房。若い頃は、筑後柳川候や大和の郡山候に仕えたが、1676年すでに西山宗因の席に列なった。東都の芭蕉に呼応して俳諧の正風化につくした先覚者である。俳論として「誠の外に俳諧なし」という卓抜な誠の説をのべた『独言』(1685年)の著がある。その俳風は極めて自然、素朴であり、なんら作為が認められない。伊丹の墨染寺の愛子永太郎の墓に遺髪、分骨が納められている。
花散つて又しづかなり園城寺
にょつぽりと秋の空なる富士の山
冬枯や平等院の庭の面
行水の捨てどころなき虫の声
何とけふの暑さはと石の塵を吹く
ひうひうと風は空ゆく寒牡丹
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