モスクワ「戦争と平和」
世界陸上のモスクワ・マラソン競技大会を見ると、クレムリン宮殿の赤い城壁に沿って走るコースである。モスクワといえば「戦争と平和」や「ドクトル・ジバコ」などで酷寒の冬の印象がつよいが、夏はとても暑いことを世界に知らしめた。
モスクワは世界の主要な都市、北京、東京、ニューヨーク、パリ、ロンドンと比べて、どこよりも歴史が古い。新石器時代にすでに集落が存在したことが確認されている。モスクワがロシアの年代記の最初に言及されるのは、1147年のことでユーリー・ドルゴルーキー(手長公)の命により、モスクワ川とネグリンナヤ川との合流点に木造の要塞クレムリンが1156年から築城され、ここを中心にモスクワの町が発達した。15世紀イワン3世のころには、赤の広場も建設され、モスクワはロシア最大の都となった。1812年ナポレオンの侵入によって町の4分の3の家屋が焼失したが、もまなくモスクワは再建された。それはぶざまに広がるぬかるみだらけの町で、ペテルスブルクの貴族たちに「巨大な村」とばかにされた。モスクワが都市として着々と繁栄しはじめたのは、1861年の農奴解放後のことであった。農奴解放とともに、土地をもたない農民がモスクワの中心地となり、度重なる戦争、革命、飢饉などにもめげず、大都市に発展していった。1941年10月はじめ、ドイツ軍はクレムリンから40㎞のところまで迫っていたが、モスクワは陥落しなかった。しかし第2次世界大戦のロシアの被害は甚大で、全世界で約6000万人の犠牲者のうち、日本310万人、ドイツ1050万人、中国2050万人、ロシア2000万人といわれている。Moskva
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