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2013年7月14日 (日)

マッターホルンの悲劇

   ヨーロッパに、イギリス人を中心とした登山というスポーツが発生したのは、18世紀の中頃だが、それから約100年くらいのうちに、モンブラン、マッターホルンといった4000メートルクラスの高山は、つぎつぎと征服された。

    1865年のこの日、イギリスの登山家エドワード・ウィンパー(1840-1911)が、いくどかの苦心のすえに、マッターホルンの初登頂に成功したことは、いまなお、世界的に有名な壮挙であるが、下山において悲劇的な遭難事件があったことでも広く知られている。

    8人の一行は下山途中で一人は足場を確保したが、ロープの途中が切れてしまい、下の4人は滑落して死んでしまった。下山後、ウィンパーはスイス当局の査問委員会に引き止められ、裁判にかけられることになった。無罪になったものの、イギリスに帰国後も彼はタイムズ紙などマスコミから非難された。ウィンパーは地質学研究をしながら、1867年から1872年と2度にわたるグリーンランドの探査、チンボラソに初登頂した1879年から1880年にかけての南アメリカ・エクアドル・アンデス、あるいは北アメリカのロッキー山地と、精力的な活動を続けた。1871年に出版した『アルプス登攀記』は、批判も多かったが、大衆には熱狂的に受け入れられた。1911年、71歳で亡くなり旅先のシャモニの墓地に埋葬された。

   『アルプス登攀記』の最後を、彼は次の言葉で締めくくっている。

いかに勇気や体力があろうと、慎重さを欠いては何にもならない、ということを忘れないでほしい。そして一瞬の不注意が、一生の幸福を台無しにしかねない、ということも

(7月14日)

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