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2013年7月27日 (土)

コレラ・パンデミック

    大正5年のこの日、横浜港に入港したハワイ丸の乗客がコレラを発症。日本全国に広まり、この年だけで約7500人の死者を出す。19世紀から20世紀初頭にかけてコレラ・パンデミックが世界中に猛威をふるった。トーマス・マンの小説「ヴェニスに死す」(1912年)の主人公グスタフ・アッシェンバッハもコレラに罹って死ぬことになっている。

    コレラ(虎列刺)は、コレラ菌を病原体とする経口感染症の一つ。コレラ菌は従来、アジア型とエルトール型が知られていたが、1992年に新たな菌であるO139が発見された。アジア型コレラの原発地はインドのガンジス川下流のベンガルからバングラデシュにかけての地方と考えられる。それが1817年に初めてパンデミックを起こし、このときの流行が日本に到達したのが文政5年(1822年)であった。第2回は安政5年(1858年)の「安政コレラ」で3年にわたり大流行した。第13代将軍徳川家定(正室は篤姫)や浮世絵師・安藤広重はコレラで死んだといわれている。

     コレラは急激な脱水症状を起こし、もがき苦しみながら数日で死ぬことから「ころり」とか「三日ころり」「とんころり」などと恐れられた。

    明治・大正に入ってからも、しばしば大小の流行があった。とくに全国的な大流行となったのが西南の役の年、明治10年、12年である。明治10年の9月に長崎と横浜に発生したコレラが発端となった。西南の役の帰還兵が鹿児島から兵庫に船で送られてきて、船内にコレラが発生し、多数の死亡者まで出していながら兵隊の強硬な態度に押されて、上陸を許してしまった。その直後、神戸を中心に関西でコレラが猛威をふるった。明治11年はそれほど目立った流行はなかったが、翌12年の流行は、統計をとるようになってから最大の規模の流行であり、その後もこれを上回る流行は国内ではみられない。この年3月14日、愛媛県魚町に発生したコレラは翌月に大分県に移り、つづく1ヵ月の間に九州全土に拡がった。一方、同時に東方にも進展して、5月末には西日本一帯に、6月には東日本に、7月には東北地方にまで及んだ。

   全国のコレラ患者数は16万2637人、死亡者数は10万5786人に達した。その数は日清・日露両戦争の死者を上回る。

(参考:酒井シヅ「明治10年代のコレラ流行とその影響」歴史と地理379号 1987年3月)

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