フランス革命と「黒板」教授法
日本における「黒板」教授法の歴史はおそらく江戸時代にまで遡ると思われる。安政2年には長崎の海軍伝習所で黒板を使用していた。
寺子屋では石盤に漆を塗った「塗板」が用いられ、石井研堂の「明治事物起源」(1926)によれば、文久3年に開成所の教官であった神田孝平(1830-1898)が、黒板を自作していたという。
そして明治5年には、アメリカから来日した大学南校(東京教育大学の前身)の英語教師マリオン・スコット(1843-1922)がブラック・ボードを持ち込んだといわれる。このブラック・ボードの直訳が「黒板」になった。国産化されるのが明治7年頃で、日本製の墨汁を塗った上に柿の渋を塗った黒板が明治10年頃には全国の学校に普及したといわれる。明治8年には数学教授デーヴィッド・マーレーが来日し、黒板の使用を奨励した。しかしアメリカの小学校に黒板の普及を見るに至ったのは、大体1860年頃であるから、スコットらは案外はやく、新しい黒板を日本を普及させたことになる。もっとも大学やカレッジの数学教室では、もっと早くから黒板が使用されていた。それは1820~1840年の期間に、アメリカの数学に大きな影響を及ぼした、ウェスト・ポイント陸軍士官学校における、数学の教授らが発明したのである。それなら黒板はアメリカの発明されたものかというと、多分1810年代にフランス人によってアメリカに伝えられたものなのである。フランス革命期、数学者ガスパール・モンジュ(1746-1818)は製図や幾何学のために黒板を使用していた。おそらく黒板はそれ以前があったと思われ、「幾何学と黒板はフランス革命の副産物」といわれている。(参考:小倉金之助「黒板は何処から来たのか」 別冊文芸春秋1947年10月号) Marion Scott,David Murray
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私にとって、この黒板教授の歴史は、最近にないヒット知識だった。
なるほど・・なあ・・という感じでした。ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年7月 5日 (金) 01時07分