或阿呆の一生「時代」
西洋によるカルチュア・ショックから近代の日本文学が生まれたわけだが、精神彷徨がもっとも顕著に見える作家は芥川龍之介であろう。龍之介がどのように西洋に触れ、どう反応したかが、「或阿呆の一生」の冒頭の一文に文学者の苦しく悲しい半生が記されている。
それはある本屋の二階だった。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子に登り、新しい本を探していた。モーパッサン、ボードレール、ストリンドべリー、イブセン、ショウ、トルストイ・・・・。そのうちに日の暮は迫りだした。しかし彼は熱心に本の背文字を読みつづけた。そこに並んでいるのは本というよりもむしろ世紀末それ自身だった。ニイチェ、ヴェルレーヌ、ゴンクール兄弟、ドストエフスキー、ハウプトマン、フローベル・・・。彼は薄暗がりと戦いながら、彼らの名前を数えて行った。が、本はおのずからもの憂い影の中に沈みはじめた。彼はとうとう根気も尽き、西洋風の梯子を下りようとした。すると傘のない電燈が1つ、ちょうど彼の頭の上に突然ぽかりと火をともした。彼は梯子の上に佇んだまま、本の間に動いている店員や客を見下した。彼らは妙に小さかった。のみならずいかにもみすぼらしかった。「人生は一行のボードレールにも若かない」彼はしばらく梯子の上からこういう彼らを見渡していた。
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