文科か、工科か?
若き日、誰でも自分の進路は悩む。大映「続高校三年生」(1964)。早川孝(倉石功)は秀才だが進路で悩んでいた。父は孝を工科に進むことを望んでいたが、色弱であることを秘密にしていた。(むかしは色弱や色盲は不合格になったらしい)結局、弟が工科へ、孝は文科へ進学することになる。1960年代の青春映画といえば、やはり受験戦争の色彩が濃い。工科で技師となって大企業に就職するというコースは親孝行の典型だろう。文科でも法科や経済ならまだしも、文学部というのはどこか親に申し訳ないという気持ちがある。学校で習得した知識を発揮できるのに時間がかかるし、頂上が見えにくい分野なのだ。工科や医学は社会で即戦力となろうが、哲学や文学では先が見えない。そんなとき何時も「大器は晩成なり」と呟くことにしている。この成句は老子にみえるが、あまり知られていないが後漢の伏波将軍といわれた馬援(前14-後49)の故事に見える。兄の況がいう。「お前はいわゆる大器晩成型だ。腕の立つ大工は、山から伐り出したばかりの、どんな材木も時間と労力をかければ、自分の好きなように細工してしまう。お前も自分の持味を生かし、時間をかければ大人物になるだろう。自重してやれ」この忠告を守った馬援は、うまず、たゆまず、自己の啓発につとめ、のちに果たして歴史に残る有名な人物となった。この話は「後漢書」馬援伝に見えている。
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