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2013年6月30日 (日)

ふんどしキティ発売中止騒動

Saved_quote_image_241508     ふんどし姿でお尻を出したハローキティをあしらったタオルの発売が中止になったという。タオルは福岡市の祭「博多祇園山笠」の開催に向けて7月上旬に発売準備されていた。理由はわからないが商標法の絡みか、雌猫の尻でポルノ画像という判断なのか。お尻をさらした後ろ姿のキティに抵抗感のある人も多かったらしい。

    キティに限らずマンガや映像でも肌の露出に対する規制が厳しくなっている傾向がある。米のトップ女優ナタリー・ポートマンはこれまであらゆるヌードシーン及びセックスシーンを拒絶してきたことで知られる。デビュー作「レオン」での体験からくるものらしい。       

    裸体は、人間の日常生活では普通は見られないものである。現代人は、ほとんどが何んらかの衣服を着用している。いわゆる文明社会では裸体は性的興奮を催させるため、もし人前で全裸になれば公然わいせつ罪(刑法第174条)として逮捕されることになる。ただし欧米ではヌーディズムの習慣が社会的認知を得ていることもあって海岸や湖などのリゾートの特別な場所においては認められるケースがある。むかしルイ・ド・フィネス演ずる警部がヌーディスト村を警護するというフランスのコメディ映画をみたことがある。現在のところ日本国内においては、自治体公認のヌーディスト村、ヌーディスト・ビーチは存在しない。

   裸体の歴史を考えるとき、まずギリシア彫刻を思い浮かべるであろう。古代ギリシア人は精神と肉体はひとつであるという考えをもっていた。古代オリンピックは全裸で競技が行われたが、不正防止の意味もあるであろうが、裸体がわいせつであるという意識はなかったこともある。アポロン神を完全無欠な美からなる人間のごときものだと信じて疑わないように、競技者は自らの裸体の美を猥褻どころか美の極致として自信をもって人前で全裸をさらけだしていたであろう。

    日本においても戦前のころまでは、農村の子供達は上半身が裸であることはそれほどみぐるしいものとはおもわれなかった。母親の赤ん坊への授乳においても、社会的認知を得ていた自然な行為と認められていた。公衆浴場(銭湯)の利用は都会では昭和30年代までは一般的であった。裸が人間本来の姿であることは当たり前のことであるが、欧米のナチュラリストの運動のような衣服を着用する義務を課せられていることに対する抗議の声はあまり日本では聞いたことはないし、ストリーキングも最近はあまり話題にあがってこないようである。

   しかしながら日本民族は本来、海洋民族であり、ふんどし一本が普段着であったはずだ。はるか神代の昔、天照大神が弟である素戔鳴尊の乱暴なふるまいに怒って天岩戸に姿をかくした時、天鈿女命が裸になって俳優(わざおき)すると、高天原がどよめき、神々もおおいに笑いさわいだ。そのさわぎに天照大神は天岩戸を細めに開き、そのすきに天手刀男神が大神の手をとって外へ連れ出したので、天地はふたたび明るくなったという。

   天鈿女命はストリッパーの元祖でもあるが、芸能の神様でもある。このような大らかな神話を生んだのが日本民族であったが、いつのまにやらこの民族は大らかな心をなくしたような気がしている。

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