矢数俳諧と西鶴
大晦日さだめなき世の定めかな
無常で定めないのが人の世であるというが、なんとかきまりをつけなければにらない大晦日は、町人にとって定めない世の定めともいうべき日である。井原西鶴(1642-1693)は平山藤五という大阪の富裕な町人であったというが、町人とともに生活したという西鶴ならではという感の深い句である。
西鶴は明暦2年15歳で俳諧を学び、寛文2年21歳のころから早くも頭角をあらわした。寛文12年ころ大阪天満宮連歌所の前の宗匠の西山宗因に師事している。西鶴の機知と連想に富んだ才能は矢数俳諧で発揮されている。これは京都三十三間堂通し矢の作法にならって、一夜一日に多くの句数を詠む記録競争であるが、西鶴は延宝5年5月25日、生玉本覚寺における1600句独吟、延宝8年5月7日、生玉寺内における4000句独吟、貞享元年6月5日、住吉神前における23500句独吟に成功し、みずから四千翁または二万翁と号している。
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