鳥居強右衛門勝商(とりいすねえもんかつあき)
1575年のこの日、鳥居強右衛門(1540-1575)が磔殺された。甲斐の武田勝頼は、信玄の死後、しばらく軍事行動を控えていたが、1575年、奥三河の長篠城を攻略するため1万5千の大軍を率いて進撃した。長篠の城主である奥平貞昌は、もともとは信玄に仕えていたが、武田を裏切って、徳川家康の娘の亀姫を妻に迎える約束をして、長篠城にわずか500の兵で籠城した。貞昌は5月14日夜ひそかに鳥居強右衛門を岡崎につかわして援軍を要請した。だが鳥居は長篠城に戻る途中で武田勢に捕まり、勝頼から「援軍来たらず。城を明け渡せ」と味方に向かって叫べば命を助けてやるといわれる。磔にされた鳥居は城に向かって「織田殿は5万の大軍を率いて来援する。がんばれ」と絶叫し、武士として壮絶な最期を遂げた。貞昌は長篠籠城の戦功により、信長から「信」の字をもらい「奥平信昌」と改名する。
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