死語辞典「ハウスマヌカン」
自社製品を着用して販売に当たるブティックの女性店員のこと。英語の「ハウス」と仏語「マネキン」を合わせた和製外来語。1980年代から使われ広辞苑にも載っているが、今では完全に死語。
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自社製品を着用して販売に当たるブティックの女性店員のこと。英語の「ハウス」と仏語「マネキン」を合わせた和製外来語。1980年代から使われ広辞苑にも載っているが、今では完全に死語。
問2.王将のモデルで知られる坂田三吉の妻の名は?
問3.1970年の日本万国博覧会。その会場となった都市は?
問4.初代大阪府知事は?
問5.1648年、古川と呼ばれていた川を開削し、安治川と改名した商人は?
問6.「麦粒腫、ものもらい」は関西では何という?
問7.1970年、大阪・千里丘陵で開催された日本万国博覧会のテーマは?
問8.1958年、白石義明が近鉄布施駅北口に開店した世界最初の珍しい店は?
答え1.緒方洪庵、2.こゆう、3.吹田市。4.醍醐忠順(だいごただおさ)。問5.河村瑞賢。問6.めばちこ。問7.人類の進歩と調和。問8.回転寿司。
福音館の絵本「おおきなかぶ」にはA・トルストイ再話と書いている。大抵のお母さんは「戦争と平和」のトルストイだと思って子どものために買ってしまう。実は文豪のトルストイとは別人でアレクセイ・ニコラエヴィチ・トルストイである。「谷間の百合」のバルザックにも17世紀の作家ジャン・ルイ・ゲ・ド・バルザックがいる。アインシュタインと聞けば相対性理論の物理学者を思い浮かべるが、アルフレート・アインシュタインという音楽学者がいる。
ハワイ語といえば「アロハ」がぴんとくる。「カメハメハ」とは「孤独な人」という意味。魚の名前「フムフムヌクヌクアプアー」やハワイ料理「ロコモコ」も面白いひびきがある。ハワイ語のアルファベットは次の12文字しかない。
A E I O U H K L M N P W
アロハ Aloha(今日は)
マハロ Mahalo(ありがとう)
カイ Kai(海)
ラニ Lani(空)
カネ Kane(男)
ワヒネ Wahine(女)
イポ Ipo(恋人)
アイカネAikane(友だち)
ホヌ Honu(海ガメ)
イア I'a(魚)
ウア ua(雨)
カイカマヒネ kaikamahine(娘)
ケバニ kepani(日本人)
マケ make(死)
マヒナ mahina(月)
マヌ manu(鳥)
メレ mele(歌)
ラ la(太陽)
リオ lio(馬)
ポポキ popoki(猫)
レイ lei(花輪)
ワイレレ wailele(滝)
カウカウ kaukau(食べる)
ウィキウィキ wikiwiki(急いで)
ウィリアム・ジェームズ(1842-1910)は人間の気質を脆弱型精神と強靭型精神の2種類に区分した。脆弱型は理性や原則を重視し、楽天的で宗教的で独断的な特徴を備えているが、逆に強靭型は経験や事実を重視し、悲観的で反宗教的で懐疑的な特徴を備えている。この2者択一の状況のため現代哲学が袋小路に陥っている。ジェームズはこの現状を打開することができる態度こそが媒介的態度であり、それがプラグマティズムであると論じた(1907年、著書「Pragmatism」)。プラグマティズムとはギリシャ語の「プラグマ」(行為)に由来し、チャールズ・サンダース・パースから着想を得たといわれる。(William James,Peirce )
工業生産活動が営まれる場所、またはそのような場所の選択を行うことを工業立地といい、この場所の選択に関する理論を工業立地論という。立地論における古典的業績であるアルフレッド・ウェーバー(1868-1958)の工業立地論(1909)は、工業製品の生産から販売までの生産費用を分析し、工業を特定の地点に立地指向させる因子を論じた。その中で、輸送費と労働費の因子が重視され、さらに集積のメリット・デメリットの因子を加えて、合わせて3つの因子で立地が決定されるとしている。すなわち、まず輸送費指向の工業立地では、輸送される原材料や製品の重量と距離が輸送費を決定するとした上で、輸送費を最小にするためには、どの場所ででも入手しやすい原材料(例:水)を使用する場合(例:ビール生産)には、その生産の需要先が多い消費地立地に、生産過程において原材料の重量が製品の中に残る割合が少ない(重量減損が大きい)場合(例:鉄鋼生産)には、原料の輸送コストを節約すべく、原料供給論立地になりやすいとしている。この輸送費指向論を原則に、さらに労働費指向論からの工業立地論として、ある一定量の低廉な労働力を生産のために確保する必要性が大きい場合、輸送量を最小にする地点から離れ、労働力を求めて立地点が偏倚するとしている。例えば、機械産業は、上述の輸送費指向論が示唆する原材料供給地立地だけでなく、低廉で質の良い労働力の確保のために、むしろ労働力供給である地方部を指向することになるとしている。アルフレッド・ウェーバーはマックス・ウェーバーの4歳年下の弟である。参考:アルフレッド・ウェーバー「工業立地論」篠原泰三訳 大明堂 1986
武豊のキズナがダービー制覇。ところで武豊、羽生善治、秋元康、この3人に共通するとこととは?。もちろん3人とも常勝男だけれど、武の奥さんはアイドル佐野量子。羽生善治の奥さんもアイドル畠田理恵。秋元康の奥さんはおニャンコ高井麻巳子。男はアイドルをおヨメサンにすると運気が上がるのだろうか。
日活といえば誰しも石原裕次郎を連想するが、それは戦後再開した日活であり、戦前の太秦・多摩川撮影所時代の日活を連想する人は少なくなったであろう。長門裕之主演の「若き魂の記録 七つボタン」(1955)を見ていると戦後再開から29作目で初期の俳優がオールスターのように出演している。三國連太郎、三橋達也、安倍徹、金子信雄、高品格、芦川いづみ。だが戦前の日活をイメージさせる俳優は少ない。上官の伊沢一郎は戦前からの日活二枚目スターだった。本名を萱野季男(1912-1995)といい、父の萱野三四郎は朝鮮で警察署長だった。1930年に日活に入り、「かんかん虫は唄う」でデビュー。「ある父」(1931)では早々と主演、「ためらふ勿れ若人よ」(1935)で原節子と共演している。代表作は「五人の斥候兵」「土と兵隊」「歴史」「戦艦大和」など。戦後もテレビドラマで脇役として活躍した。
クリント・イーストウッドは稀有な俳優である。B級映画の端役からTV「ローハイド」の人気者、そしてマカロニウェスタン、「ダーティハリー」でトップスターとなり、2度もアカデミー作品・監督賞を受賞している。「マンハッタン無宿」(1968)はターニング・ポイントとなる作品。ラストで旧パンナム・ビルが出てくる。わずかな期間だが、屋上から最寄の空港までを結ぶヘリ・サービスがあった。1979年の事故で廃止されたが、映画では犯人を護送するクリント・イーストウッドとスーザン・クラークとの別れの場面で使われている。ヒロイン役はスーザン・クラークよりもショートヘアーのティシャ・スターリングが魅力的である。LSD、売春、ヒッピー、サイケにゴーゴーと60年代風俗も満載。Tisha Sterling
光合成 植物は命をささえるために緑色の植物だけが行う光合成というはたらきがある。光のエネルギーを受けて二酸化炭素と水からデンプンなどの有機物と酸素を葉緑体の中で合成する(炭酸同化という)。photosynthesis 光合成,oxygen 酸素, carbohydrate 炭水化物
呼吸 生物は呼吸を行うから、もちろん植物も呼吸をする。しかし、下等な植物はもちろんのこと、高等な植物でも、からだのつくりは簡単であり、また、細胞や組織の間にすきまが多いので、空気はどこへでもはいっていける。したがって、特別な呼吸器は必要ない。植物のはたらきとして、よく光合成と比較されるが、光合成とはまったく逆のはたらきで、気孔から酸素を取り入れ、二酸化炭素を放出する。
ミュージック・ステーション。ミスターチルドレンの曲「hypnosis」。ヒプノシス。意味は「催眠」。「♪自分自身にかけた催眠術を解いて目を開こう」。北海道の停電が復旧。blackout。愛子さまが胃腸炎。gastroenteritis。
discharge (銃などを)発射
launch (ミサイルなどを)発射
pretence 口実
release 解放
assembly 集会
patience 忍耐
slumber 眠り
wreck 難破船
appetite 食欲
application form 申込用紙
law firm 法律事務所
umbilical cord へその緒
Pleiades スバル
bookkeeping 簿記
obsession 強迫観念
hemorrhoid ヘモロイド(痔)
trichophytosis トリコフィトシス(水虫)
イタリアには芸術においてボッカチオの「デカメロン」ような陽気で愉快で人間の本能を露わにするというルネサンス的伝統が脈々と根づいている。映画としては60年代シシリア・コメディにみられる艶笑喜劇というジャンルが確立した。ピエトロ・ジェルミ監督の「イタリア式離婚狂想曲」(61)「誘惑されて捨てられて」(63)、ヴィルナ・リージの「エヴァの匂い」(62)「カサノヴァ'70」(64)などの作品である。艶笑喜劇に欠かせない男優としてはマルチェロ・マストロヤンニであるが、彼はあまりにも世界的に有名な俳優で艶笑喜劇だけではない。むしろランド・ブッツァンカが艶笑喜劇を代表する男優であろう。山城新伍と加藤茶を合わせたようなキャラで、寄り目がちで角ばった顔の二枚目といえる。これまで共演した女優はステファニア・サンドレリ、ロッサナ・ポデスタ、シルヴァ・コシナ、ラウラ・アントネッリなど多彩。「裸のチェロ」では美しい妻を持ったチェロ奏者な奇妙な悩み(?)を描く。妻の裸を他人に見せたいという願望が昂じて、ついにオペラ公演の観衆の目前で、全裸の妻を披露するという奇行で精神病院に入れられる。哀れな男の本性をコミカルに描きながら、妖艶な女優の見事な美乳、美尻をたっぷり見せてくれる。イタリア艶笑喜劇は馬鹿馬鹿しさとエロスが最高の魅力である。Lando Buzzaca
問1.志賀直哉「小僧の神様」に登場する仙吉は神田の何屋の丁稚か?①佃煮屋②秤屋③金庫屋④呉服屋
問2.新美南吉「おじいさんのランプ」に登場するランプ売りのおじいさんは電灯が普及したため転職し、何屋になったか?①時計屋②化粧品屋③そば屋④本屋
問3.芥川龍之介の実家は商売は?①秤屋②牛乳屋③金物屋④新聞屋
問4.井原西鶴の作品はどれ?①冥途の飛脚②平家女護島③嵐無常物語④春雨物語
問5.芥川龍之介の高踏的な創作態度を「人生を銀のピンセットで弄んでいる」と評した作家は?①谷崎潤一郎②久米正雄③有島武郎④菊池寛
問6.源氏物語の「空蝉」の中で美しい女性の形容として「つぶつぶと」とあるのは何?①肌が白い②小柄だ③目が大きい④太った
答え;問1②、問2④、問3②、問4③、問5④、問6④
フィラリアは線形動物門に属する寄生虫で、今日の日本ではヒト寄生性のフィラリアがほぼ根絶されているため、イヌ寄生性のフィラリアの方が有名になっている。しかし、ヒト寄生性のフィラリアはアジア・アフリカの一部地域にみられ、江戸時代には日本各地に分布した恐ろしい感染症の1つであった。まれにイヌ寄生性のフィラリアも人体に感染することがあるが、これは心臓寄生性であり、象皮病は起こさない。また象皮病の直接的な原因はフィラリアの寄生ではなく、リンパ管の破壊と、それによる組織液の滞留である。そのため、体内のフィラリアがすでに死滅して感染自体は終結していても、この症状は進行する。
幕末維新の英雄、西郷隆盛が若い頃に象皮病に罹って、後遺症で陰嚢が大きく膨れ、馬にも乗れなかったという話はよく知られている。普段は兎の皮で作った袋に、陰嚢を入れていた。明治10年、西南戦争で敗れ鹿児島城山で自刃した西郷の死体には首がなかった。切腹後に誰かが埋葬のため首を持ち去ったものかも知れない。首のない屍体検視にあたり西郷本人と判定されたのは、この巨大な陰嚢があったからである。elphantiasis
唐草文様の起源は古代エジプトの睡蓮の文様にあるといわれる。開花の睡蓮とつぼみの側面形を交互に弧線で繋いだり、渦巻文で組合わせたりするものが見られる。
それらが地中海文明を経てギリシャにいたりシュロの葉を扇形に開いたような植物文様(パルメット唐草文)となった、この文様が、ローマ、西アジア、インド、中央アジア、東アジアなどに伝わり、各地で多様な模様へと変化した。仏教美術では、仏像の台座や光背などに用いられている。睡蓮以外のモチーフでは、葡萄、石榴などが多く、中国唐代では牡丹唐草文様が見られる。日本では前5000年の縄文土器に唐草文が見られ、正倉院宝物の中にも西方から伝えられた多くの唐草文様が見られる。( 参考:石渡美江「楽園の図像」) palmette
演歌・歌謡曲オリコンランキング(2013年5月6日~5月12日)1位、路地あかり 北山たけし、2位 博多ア・ラ・モード 五木ひろし、3位 伊勢めぐり 水森かおり、4位 日向灘 鳥羽一郎 5位 縁(えにし) 島津亜矢、6位 釧路空港 山内恵介、7位 愛のせせらぎ 岩本公水、8位 南部蝉しぐれ 福田こうへい、9位 おんなの夜明け 竹川美子、10位 しぐれの港 氷川きよし。演歌の衰退が続いている。ヒット曲がでない。ランキング10位内の曲でもどれほど浸透しているだろうか。圏外でも三山ひろし、千葉一夫、松原健之、松尾雄史などがいる。だが将来の歌謡界を背負うスターという感じはしない。氷川きよしに続くスターが現れなかった。女性歌手も和服演歌がみな年がいって若手くてフレッシュな歌手が見当たらない。
映画「エジプト人」(1954)は前14世紀のテーベを舞台とした史劇である。若い医師シヌヘ(エドマンド・パードム)は太陽神を信仰するイクナートンを獅子から助けたことで侍医となり出世する。やがて王の妹バケタモン(ジーン・ティアニー)に国王暗殺を持ちかけられ、王を毒殺する。しかし王位についたのは近衛隊長のホレエムヘブ(ヴィクター・マチュア)だった。鉄器をヒッタイトから導入する話など世界史の勉強にもなる。ただし製鉄技術が普及するのはもう少し後である。
他にジーン・シモンズ、マイケル・ワイルディング、ベラ・ダービ、ピーター・ユスティノフら豪華キャスト。ネフェルの役をマリリン・モンローがやっていればもっとヒットしただろう。主演のエドマンド・パードム(画像)はハンサムなのに日本ではあまり人気がなかった。ハリウッド黄金期のスターで、のちイタリアへ渡り長く活躍し、4年前に没している。(Edmund Purdom)
1927年のこの日、チャールズ・リンドバーグが大西洋単独無着陸横断飛行に成功した。リンドバーグ少年は、1902年2月4日、アメリカのデトロイトに生まれた。はにかみ屋でおとなしく、友達も多くなかったが、ペットを非常にかわいがる子供で、とくに犬には夢中だった。常に何匹もの犬を飼っていて、少ないときでも5匹いたが、中でもずっと一番のお気に入りだったのは雑種のディンゴだった。ミネソタ州リトルフォールズにあったリンドバーグ家の農園で、ゴミをあさっている子犬を見つけたのが、チャールズとディンゴの出会いだった。少年と子犬はすぐに友達になった。13歳のときのことだった。ある朝チャールズは、ディンゴが庭で死んでいるのを見つけた。故意に撃ち殺されという証拠は何もなかったが、連邦議会の議員をしていたチャールズの父は、その意見のため、論争の渦中に身を置くことが少なくなかった。ディンゴは、それに腹をたてた有権者の標的にされたとも考えられた。
韓国のユン報道官がアメリカで不適切な行動をとったとして更迭された。警察への訴状によれば同行した女性のお尻をさわったというのである。いわゆる日本語「エッチ」という言葉は変態(hentai)の頭文字のHをとっている。昭和27年頃から使われだしたとされるが、きっかけとなる話は知らない。一説では戦後、最も息の長い流行語といわれる。ただし使われ方は変化している。最初は「お尻さわるなんてエッチね」という感じだったが、最近は「彼氏と初めてエッチする」というようにセックスの隠語になっている。
戦後の流行語をながめると、斜陽族、ノルマ、冷たい戦争、てんやわんや(1948年)、ギョギョ、アジャパー、クルクルパー、駅弁大学(1949年)、オー・ミステーク、とんでもハップン、ニコヨン(1950年)、老兵は死なず、三等重役、逆コース、社用族(1951年)、ワンマン、エチケット、女性と靴下、火炎ビン(1952年)、八頭身、サイザンス、家庭の事情、コネ、洗脳(1953年)、指揮権発動、死の灰、ゴジラ、ソーラー族(1954年)
エチケットがエッチと同じ昭和27年の流行語というのが面白い。英語etiquette(礼儀作法)はそれ以前から知られていたが一般大衆も使うようになったのがこの年なのである。
筆の持ち方には、単鉤法と双鉤法がある。単鉤法とは、普段私たちが鉛筆を持つときと同じ持ち方で、親指と人差指でつまむように持ち、中指を添える。指先に力が入るので、細かい線を書くのに最適である。
双鉤法とは、親指・人差指・中指で筆管を持ち、薬指を添える持ち方である。筆を動かしやすく、強い線を出しやすい。
毛筆で字を書く場合は、とくに姿勢がしっかりしていないと、よい字が書けない。右手は脇につけず、左手は紙の左はしの下を押さえる。書写の腕のかまえ方には、懸腕・提腕・枕腕がある。
懸腕 腕をあげ、肘をわきの下につけないで書く方法である。大字を書くときの腕のかまえ方で、大きく自由に動かすことができる。
提腕 腕を、机の上にかるくつけているが、おさえることはなく、すらすらとすべらすようにして書く方法である。中字や細字は、この方法によるとたいへん書きやすい。
枕腕 左手をまくらにし、その上に右手をかるくのせて書く方法である。小字を書くときのかまえ方である。
1862年のこの日、ホームステッド法が発効された。リンカーン大統領のすぐれた政策のひとつにホームステッド法の制定がある。年齢21歳以上の市民は160エーカー(約65ha)の公有地を、5年間の居住・開墾の後に無償で取得することができる法律である。これによって、1890年ごろまでに西部の国有地はほとんど入植され、アメリカの西部開拓に大きな役割を果たした。しかしホームステッド法は市民権をもっている者ばかりでなく、帰化申請者に対しても160エーカーの土地を無償で下付したので、ヨーロッパからの移民が中央北部の平原に住みついて、開拓農民となる傾向が大きかったが、同時にまた都市の非熟練労働者となる数も急増した。1870年代にはこういう農民や労働者の不満を吸収して、グリーンバック労働党や労働騎士団などが生まれたが、最終的に強い影響力をもつようになったのは、葉巻工組合出身のユダヤ人サミュエル・ゴンパースのような指導者のいたアメリカ労働総同盟(AFL)だった。(1886年)
肥前福江藩の第7代藩主・五島盛道(1711-1780)の頃の話。この藩には女の人の3年奉公制度があった。福江の武家へ3年間無給で奉公に出すというもので、米5石または銀300匁を藩に収めれば免除された。しかしこれは相当に裕福でないと捻出できる額ではなく、ほとんどの領民は奉公していた。ある娘が、石田城内に御殿女中として召された。殿様にお茶をさしあげるために、御居間にはいろうとしたところが、あやまって敷居をふんだので、音をたててしまった。殿様は、その音を聞き、娘がおならをしたものと聞きあやまって、「おまえは、おとしたナ」となじられた。娘はいいわけもできず、娘ごころの恥ずかしさに、思いあまって、あるとき、かわいそうに海に飛び込んで死んでしまった。そのことが後でわかって、「かわいそうなことをした」と、はじめは旧藩主をまつった城山神社の隅に、この娘の小さな石の祠がたててあったが、いつの間にか、大森の海岸に移された。この道を通るときは、かならず誰でも豆腐を祠にそなえてから、通ることになっている。この娘は、生きていたころ、大の豆腐好きだったという。
史上最強の巨漢俳優。単に図体がデカイということであれば肥満俳優はいろいろいるだろう。ジョン・グッドマンやロビー・コルトレーンの体重が何キロかわからないが100㎏は軽くオーバーしているだろう。強そうで言えば、プロレスラーのザ・ロック、194cm、118㎏やスティーブン・セガールあたりか。しかし俳優という観点から選ぶと、身長・体重だけでなく風格というのが大きな決め手となる。となると、やはりジョン・ウェイン、193cm、91㎏が№1であろう。
最近はウィル・スミスのように長身でも細身の俳優が多いが、むかしは頑丈そうな男優が多かった。
ジャック・パランス、ロック・ハドソン、ビクター・マチュア、ランドルフ・スコット、ジョージ・サンダース、ジャック・ホーキンス、アーネスト・ボーグナイン、アンソニー・クイン、オーソン・ウェルズ、ジョージ・ケネディなど。シネマ・スクリーンの画面いっぱいに大男が殴りあうシーンというのが昔の西部劇の見せ場だったのが懐かしい。
樫山文枝、榊原郁恵、蛯原友里、宍戸錠。これらの共通点は?「樫」「榊」「蛯」「宍」がみんな日本でつくられた漢字、つまり国字である。蝦夷の族長、阿弖流為(あてるい)の「弖(て)」も国字。「鯱」「鰯」など魚へんの国字が多いが、「鮭」のように(中国では「ふぐ」の意)日本で別の読み方(「さけ」)をする字をとくに国訓という。「俣野」「畑山」「桝谷」「栃尾」「笹野」「粂井」「辻野」「纐纈(こうけつ)」など苗字として使われる国字も多い。
国字は全部でいくつあるか。すでに平安時代の「新撰字鏡」には約400の国字が載っているが、使われなくなった国字も多い。一説によると約2600字以上あると考えられる。
主な国字をあげる。
躾(しつけ)、俥(くるま)、凧(たこ)、俤(おもかげ)、匂(におう)、噺(はなし)、杜(もり)、杢(もく)、膵(すい)、雫(しずく)、鞆(とも)、麿(まろ)、凩(こがらし)、〆(しめ)、膣(ちつ)
常用漢字には働(ドウ、はたらく)、塀(へい)、枠(わく)、込(こむ)、畑(はたけ)、峠(とうげ)、匁(もんめ)の7つしか載っていない。
光あるところに陰がある。十朱幸代はNHK「カーネーション」で糸子の祖母を演じている。20代の美しいころ、松竹では岩下志麻や倍賞千恵子、日活では吉永小百合の影に隠れて大分損をしてしまった。活躍期に強力なライバルがいると陰にかくれてしまうケースがある。
菅原昭子はオーデション番組「スター誕生!」の合格をきっかけに歌手デビューしたが、山口百恵など花の中三トリオの陰になった。花の1980年組甲斐智枝美も柏原芳恵とタイプが重なって損をしている。
スポーツ界でいえば日陰の女の典型は女子マラソン甲斐智子だろう。高橋尚子がその名をあげたバンコクのアジア大会で甲斐も3位となったが、いまでは誰も覚えていない。(写真左端の紫のトレーナーが甲斐智子)
戦前の刑法第183条には「姦通罪」があり、その第1項に「有夫ノ婦姦通シタルトキハ二年以下ノ懲役ニ処ス其相姦シタル者亦同シ」と定めている。つまり姦通罪というのは、おもに夫のある女性に適用されるもので、男性が姦通罪の適用を受けるのは北原白秋の桐の花事件のように、相手が夫のある女性の場合だけに限られていた。
ところが、昭和2年5月17日、大審院長・横田秀雄(1862-1938)は、夫は妻に対して貞操義務を負う、として妻に対して慰謝料・損害賠償を請求する権利を持てるという画期的な判決を下した。
この裁判が戦われた大正末期から昭和初期にかけて、司法の場だけでなく国民の間でも、女性のみに科する姦通罪の是非を問う議論が盛んになっていた。
昭和2年7月20日、全関西婦人連合会では、京都帝国大学法学部の滝川幸辰(1891-1962)教授を講師に招聘し、「男女貞操に関する刑法改正法案」講演会を開催した。主催者であった婦人団体は、夫の姦通をも罰することになれば性道徳が向上するという理由から、男女両罰を唱えたが、滝川教授は、現行の刑法は女性に対して著しく不利であるとしながら、罰をもって個人の自由を規制することに異議を唱え、男女ともに姦通罪を廃止すべきだと主張した。滝川はその後「刑法読本」の刊行によって文部大臣の鳩山一郎(1883-1959)の攻撃を受け、「赤化教授」として京大を追われたのは昭和8年のことである。
林立す五月相撲の幟かな (犀星)
大相撲夏場所。日本の国技である相撲は、海外でも人気があり、男性同士が裸で取り組み合う姿が欧米人には珍しくもあり、文化面でも、外国から見た日本のイメージを構成する一因になっている。日本語が英語の単語になったものは、数としては多くはないがkimono(着物)、mikado(帝)、shogun(将軍)などは古くから英語化された日本語で、最近ではsushi(寿司)、sukiyaki(スキヤキ)、sashimi(刺身)、sake(酒)などの食べ物の名前とか、salaryman,karaokeなども英語の仲間入りをしている。
banzai(万歳)、nonsai(盆栽)、bonze(坊主)、daikon(大根)、fuji(富士)、geisha(芸者)、geta(げた)、go(碁)、haiku(俳句)、harakiri(切腹)、hibachi(火鉢)、judo(柔道)、kamikaze(神風)、karate(空手)、manga(漫画)、ninja(忍者)、noh(能)、origami(折り紙)、samurai(侍)、sayonara(さようなら)、shiatsu(指圧)、tatami(畳)、Tenno(天皇)、tempura(天麩羅)、tsunami(津波)、wasabi(わさび)、zen(禅)。
安倍首相が12日に航空自衛隊機に搭乗した機体番号が「731」であったことが大きな波紋となっている。細菌兵器の人体実験を行ったとされる旧関東軍の731部隊を連想させる挑発行為だというのである。韓国メディアは「歴史認識を欠いた日本の政治指導者の暴走」と見ている。当初、国内の報道でも、まさかいくら安倍首相でも意図的に731部隊と関連づけて自身の機体を選んだとは考えにくく、韓国の疑心暗鬼による邪推であろうと簡単に片付けていた。
だが橋下大阪市長の従軍慰安婦に絡む発言といい、国際的にマイナスになる発言が多発している。同日、宮城視察で、首相は田植えを体験したが、慣れない田植え機の運転で農家の人から左にハンドルを切るように指摘されると、「どうしても右に行くってよく言われるんだ」とジョークをとばしていた。このような言動をみると、あの5月5日の東京ドームでの背番号96も憲法改正へのアピールであったことが明白にみえてくる。数字には隠された意味や何らかの暗示を知っていて、意図的に右翼思想を煽動しているように感じさせられる。
ワシントンでもこの写真が外交政策者の間で注目され、安倍政権や日本人の右傾化に懸念を感じているようだ。もはや「認識が甘かった」ではすまさない事態となっている。
ボッティチェリの自画像「東方三博士の礼拝」(部分) 1475年 フィレンツェ ウフィツィ美術館蔵
1510年のこの日、ボッティチェリはフィレンツェで没した。本名アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・ディ・ヴァンニ・フィリペーピ(1445-1510)はフィレンツェの皮なめし職人マリアーノ・フィリペーピの末子として生まれた。フィレンツェ人は驚くほど愛称を好み、アレッサンドロの長兄ジョヴァンニは「イル・ボッティチェロ」(小さな樽を意味する)と呼ばれた。おそらく彼が丸々と太っていたからだろう。アレッサンドロ(通称サンドロ)は1470年以前のいつのころからかこの愛称を肩代わりし、ついにはそれが一家の姓となった。
サンドロ・ボッティチェリの若いころについて確かなことはほとんど知られていないが、13歳で金細工師の徒弟になったという話は真実らしく思われる。しかし、まもなくして画家になろうと決心し、1461、2年ごろ、父親は彼をフィリッポ・リッピの工房に入れた。リッピはフィレンツェの名高い画家だった。その後、ボッティチェリは「プリマヴェラ(春)」と「ヴィーナスの誕生」によって、ルネサンスを代表する芸術家の一人になった。
彼は旅嫌いで、めったに故郷のフィレンツェを離れなかった。1473年、注文に応じるためにピサを旅したが、計画が頓挫すると、すぐに家に帰った。1481年、ローマのシスティナ礼拝堂を飾る芸術家の一人に選ばれたためフィレンツェを離れたが翌年にはフィレンツェに戻っている。
晩年、修道僧サヴォナローラが処刑されると、ボッティチェリも人気を失い、数世紀にわたってほとんど忘れられた存在となった。ボッティチェリがイタリア・ルネサンス最大の芸術家として認められたのは、ようやく19世紀の末に再評価されたからである。
昨夜の巨人ロッテ戦は9回裏・長野の逆転打5-4で決着した。しかしお膳立てをしたのはベテラン石井と無名の立岡宗一郎。巨人ファンもほとんどその名前をしらない。昨年ソフトバンクから移籍したらしい。3-4でノーアウト一塁。だれもが送りバントと思った。原監督が出てきて何やら立岡に耳打ち。なんとバントではなく強攻策。先ず同点ではなく一挙勝ちにでた。ロッテの二塁手・根元が打球を大きく弾いて記録ではヒット。これがプロ入り初安打。怪我などこれまでの不運がうそのように幸運の女神が微笑む。素材を見抜いた原やコーチも見事だが、攻走守と三拍子の選手でこれから期待できる。スポーツ紙には立岡に関する記事満載だろうが、「一朝目覚めて有名人」である。
お茶の水小学校(東京都千代田区猿楽町1丁目)の校庭には夏目漱石の記念碑が建てられている。「吾輩は猫である。名前はまだ無い。明治11年夏目漱石 錦華に学ぶ」とある。当時の校名は錦華小学校だった。
漱石家の3代目の猫が死んだあと、書斎を訪ねた野村胡堂が、次の猫を飼うのですかと質問すると、「それなのです。私は、実は猫が好きじゃない。世間では、よっぽど猫好きのように思っているが、犬の方がずっと好きです」と答えたという。
1575年のこの日、鳥居強右衛門(1540-1575)が磔殺された。甲斐の武田勝頼は、信玄の死後、しばらく軍事行動を控えていたが、1575年、奥三河の長篠城を攻略するため1万5千の大軍を率いて進撃した。長篠の城主である奥平貞昌は、もともとは信玄に仕えていたが、武田を裏切って、徳川家康の娘の亀姫を妻に迎える約束をして、長篠城にわずか500の兵で籠城した。貞昌は5月14日夜ひそかに鳥居強右衛門を岡崎につかわして援軍を要請した。だが鳥居は長篠城に戻る途中で武田勢に捕まり、勝頼から「援軍来たらず。城を明け渡せ」と味方に向かって叫べば命を助けてやるといわれる。磔にされた鳥居は城に向かって「織田殿は5万の大軍を率いて来援する。がんばれ」と絶叫し、武士として壮絶な最期を遂げた。貞昌は長篠籠城の戦功により、信長から「信」の字をもらい「奥平信昌」と改名する。
ニューヨークの新聞記者ロバートは、ある日スーパーで缶詰の安売りがあったので、いくつか買い込んで家にもって帰った。グリーンピースのスープの缶詰だった。そして、そのうちにいくつかを食べつくした。すっぱい味がしたが、それでもあまり気にしないで口に入れてしまった。ところが四、五日たってからロバートは奇妙な腹痛に苦しみ、医者にいった。診断ではどこもわるいところはなかったが、とにかく胃のなかを検査してみようということになった。検査の結果、彼の胃の中で、なにか小さいものが動いているのが認められた。医者は首をかしげながらも、なにが動いているのか正体がわからないので、様子をみようということになった。ロバートの腹痛は、いよいよ酷くなるばかりで、医者はいろいろな薬を与えたが、まったくその効き目はなかった。
その胃の中の小さな動くものは、しだいに成長して大きくなっていることがはっきりと認められ、ロバートは七転八倒し。喉から血を吐くこともあった。1ヶ月ほどたったある日、ロバートの腹痛の原因がわかった。ロバートの胃のなかで、ヤモリともトカゲともつかない小さな生き物が、彼の胃を食い荒していたのだった。ロバートは手術を受けたが、そのときはすでに遅く、この世の人ではなくなった。
トロイをめぐる10年の激しい攻防に、ついに終止符を打ったのは、オデュッセウス の案出した「木馬」の計略だった。工作の名手エペイオスがアテナ女神に指導されて造ったというこの巨大な木馬の空洞の胎内に、オデュッセウスは選り抜きの勇士たちとともに潜んだ。そして他の軍勢は、夜明け前に陣営を焼き払った上で船に乗り、テネドス島の沖に待機させておいた。
朝になって、ギリシア軍の陣地が空になり、木馬だけが残されているのを見たトロイ人たちは、敵が市の攻略をあきらめて帰国したものと思いこんで驚喜し、城門を通せぬほど巨大だったこの木馬を、城壁の一部を壊して市内に運びこもうとした。この折、プリアモス王の娘で預言者だったカッサンドラと、アポロンの祭司ラオコーンとは、ギリシア軍の謀計を見破り、木馬を焼くか断崖から海に投じることを強硬に主張した。ところがラオコーンが、ポセイドンに牡牛を犠牲にささげようとすると、突然2匹の大蛇が海から出てきて、そこにいたラオコーンのふたりの息子に巻きつき、これを助けようとした父親まで一緒に絞め殺してしまった。これを見て、ラオコーンが神聖な木馬の破壊を主張したたために神罰を受けたと信じたトロイ人たちは、もはやためらわずに木馬を市内に入れた。
するとその夜、彼らが勝利を祝う饗宴の酒に酔いしれ、油断しきって眠りこんだ真夜中に、隠れていた勇士たちが木馬から出てきて、城門を開けてテネドスから戻ってきた味方の軍勢を市内に引き入れ、市に火をかけ、不意をつかれてあわてふためくトロイ人たちに対して、殺戮と略奪をほしいままにした。こうしてトロイの男たちは、辛うじて市外に逃れ出ることのできたほんのわずかの落武者を除き、老人や子供たちまで容赦なく皆殺しにされ、女は捕虜にされて財宝とともに戦利品として分配され、栄華を誇ったプリアモス王の都は、一夜のうちに壊滅したという。
いま海外では日本はトロイだと囁かれている。「TPP参加は日本を救う」とグローバリストたちが、親切そうに日本に話しかけた。グローバリストの正体は一握りの人々が支配している多国籍企業群で、日本がトロイのように騙されて滅びる日も近い。
神戸の六甲道にあった宇仁菅(うにすが)書店は創業90年という老舗古書店でウィキペディアにあるほど有名である。だが2代目店主宇仁菅民生さんが亡くなられて2012年3月末で閉店した。店にはいつもバッハが流れて洋書もある棚揃えにこだわりのある書店だった。宇仁菅書店に限らず、東神戸や阪神間の古書店も次々と消えていった。もう足も弱くなって昔ほど本の買出しもできなくなってしまったが、古本屋が次々と消えていくのは無性に淋しい。
こんな話を思い出した。ヴィクトル・ユゴーの「ああ無情」にも出てくるブーラール(Boulard)という法制院会員は愛書家で、毎日1mの杖を持って歩き、この高さまで本を買わなければ気がすまなかった。あまりにたくさん買うので奥さんが一度止めたところ神経衰弱になってしまい、それから周りもあきらめたようである。ある日も例の如くたくさんの書物を買い込み、馬車も断わられて乗せてくれないので、大汗をかき帰宅をしたのが原因で死んでしまった。競売された本は50万冊から60万冊はあったといわれる。
アリダ・ヴァリの「夏の嵐」。ベネチア貴婦人の官能的な作品。恋人がいう。「こういう所ではいつも音がする。シーツのすりきれる音、窓に虫のぶつかる音、抱き合っている時、こんな音がしていたと後になって気づく。・・・・細かいことが残る」と。人生、通り過ぎたとき、甦ってくるのは出来事ではなく、あの日あの時の風のそよぎであり、花の香りである。谷川の水のように清く、夕霧のようにほのかに、散る花のように侘びしさを湛えたクリスティーナ・ロセッティ(1830-1894)の詩。
わたしが死んでしまっても
やさしい君よ
わたしのためにかなしい歌をうたわないでください
わたしのうえに ばらの花も
かげふかい いとすぎの木も 植えないでください
ただそこには つゆにぬれる
みどりのわか草をしいてください
そしてあなたが思いだすなら思いだして
わすれるならわすれてください
わたしはかげも見ないでしょう
雨も感じないでしょう
くるしげにないている
夜鶯の声もきかないでしょう
そして朝も夜もないうす明かりの中で
わたしは永久にうつらうつらと
思いだしたりわすれたり
しているでしょう
(三井ふたばこ訳)
「私のお墓の前に立って嘆き悲しまないでください。私はそこにはいません。眠ってなんかいません。私は千の風になって吹き抜けています」数年前に大ブームになった「千の風になって」のモチーフの原型のような気がします。ロセッティの有名な作品に「風」(西條八十作詞)もあります。
誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木の葉を ふるわせて
風は通りぬけていく
「♪夕陽の丘のふもと行く バスの車掌の襟ぼくろ わかれた人に生き写し なごりが辛い たびごころ」石原裕次郎といえば北海道。JTBがアンケートを実施したところ第1位はやっぱり「北海道」。土方歳三、坂本龍馬も北海道の大地に思いをはせた。独歩、啄木、有島武郎らの流離の憂い。ところで地名「北海道」の由来は?
幕末の探検家・松浦武四郎(1818-1888)が1857年、音威子府村を調査したとき、アイヌ民族のコタンに立ち寄り、「カイナー」と言う言葉の意味を尋ねたところ、この地を「カイ」と呼び、「ナー」は敬語ということを教わった。(「天塩日誌」)1869年、開拓判官となった武四郎は「道名の義につき意見書」を明治政府に提出。日本の「北」にある「カイ」、それに旧領土を指す「道」をつけ「北加伊道」(ほっかいどう)という案を発想、そしてこれをもとに、現在の「北海道」の名称が誕生した。
梅は生長は速いが大木にはならない。そのように、進み方は速いが学問を大成させないで終わるのを「梅の木学問」と言う。一方、生長は遅いが大木になる楠のように、ゆっくりではあっても学問を大成させた場合は「楠学問」と言う。辞書にのっている言葉だが、恥ずかしながら初めて知った。いまの学校教育などは「梅の木学問」のような気がする。大学は入りやすいが、卒業が難しい、というようでなければならない。また大学卒業後も、研究を継続しているという人は百人にひとり、いや千人にひとりもいないかもしれない。学問というものは難しいものである。
「読書離れ」「活字離れ」という言葉を耳にするようになって久しいが、本当に日本人は本を読まなくなったのだろうか。これに関して毎日新聞社と読売新聞社では「読書世論調査」を実施している。「あなたは、この1か月間に、何冊ぐらい本を読みましたか」という問いに対して、「読まなかった」と回答すれば不読者とみる。本を読む人、読まない人の割合は、だいたい半々、つまり50%の状態が続いている。電子書籍、スマートフォンという本の形態が変わってきたので、それらを含めると読書率は上がってくるものと考えられる。
自分が本を読む習慣がついたのは、いまから思えば両親が小学校に上がるときに学習机を用意してくれたことにあると思う。貧しい暮らしの中で兄弟2人にそれぞれ机と椅子を買うことは大変だったと思うが、感謝している。
日本と外国の女優をある年度を中心に比較検討するコラム。テレサ・ライトは1918年生まれで津島恵子に比べると8歳年上だが、太平洋戦争の関係で洋画の配給がストップしていたため戦後、一挙に日本で公開された。そのためヒッチコックの「疑惑の影」(1943)と「安城家の舞踏会」は1947年の同年に劇場公開されている。テレサ・ライトも津島恵子もいかにも良家のお嬢さんという役柄が多い。知的で上品な感じ。経歴をみるとテレサはニューヨーク・ハーレムで生まれる。ハーレムというと危険地帯という感じだが、もちろん一般家庭もあるのだろう。津島恵子もいかにも東京の山の手という感じだが、対馬の出身。東京の学校へ行っているのをみると、相当の資産家の娘なのだろう。やはり日米女優を並べると、良妻賢母No1は、テレサ&恵子が妥当と考える。
宮沢りえ(40歳)が天海の代役を見事はたして観客は絶賛したという。20年前の1993年、人気絶頂時、貴花田との婚約および解消劇があった。のちに「すったもんだがありまして」が流行語。この年はめずらしくフランスもフレッシュな若手女優が現れた。「ふたりのベロニカ」のイレーヌ・ジャコブ、「さよならモンベール」のマリー・ジラン。そして「野生の夜に」「伴奏者」「ミナ」のロマーヌ・ボーランジェ(画像)は演技派として期待された。写真でみると宮沢と同じく激ヤセ。現在40歳でどうしているのだろうか。
20年の歳月は人を変えるが、いまも健在の大スターもいる。この年は「ジュラシック・パーク」が大ヒット。皇太子・雅子さまのご成婚があったのもこの年。ハリスン・フォード「逃亡者」、シルヴェスター・スタローン「クリフハンガー」、トム・ハンクス「めぐり逢えたら」、ケヴィン・コスナー「ボディガード」、サム・ニール「ピアノ・レッスン」「ジュラシック・パーク」、トム・クルーズ「ザ・ファーム」。女優では「氷の微笑」「硝子の塔」でシャロン・ストーンがセックス・シンボルとなる。デミ・ムーア「幸福の条件」、ジョディー・フォスター「ジャック・サマースビー」、ブリジッド・フォンダ「アサシン」、ジュリエット・ビノシュ「嵐が丘」「トリコロール」、ジュリア・ロバーツ「ペリカン文書」など。レオナルド・ディカプリオが「ギルバート・グレイブ」で、ブラッド・ピットが「リバー・ランズ・スルー・イット」で注目される。
日本のアイドルは所謂「冬の時代」だった。Winkがやや人気に陰りをみせ、森高千里「私がオバさんになっても」「渡良瀬橋」がヒット。高橋由美子、西田ひかる、三浦理恵子、瀬能あづさ、中嶋美智代らが正統派アイドルだった。ドラマ「あすなろ白書」で木村拓哉や西島秀俊が注目される。グロリア・イップも40歳。日本を訪れても誰も気づかないだろう。
WHOの定義では「性や生殖に関してすべての人間にとって次の条件が満たされるべきだとする。①人は誰でも希望する数の子どもを希望するときに持つことができなければならない。②女性にとって妊娠・出産は安全でなければならない。③妊娠・出産は母児の生命・健康にとり安全でなければならない。④すべてのカップルは望まない妊娠や病気に感染するおそれなしに性的関係を持つことができなければならない。以上は生殖医療、生殖医学の対象でもある。
地球的な規模で見た場合これらの条件が満たされていない地域や国に住んでいる人々のほうが多い。また宗教上、倫理上の立場から妊娠中絶に反対する人もいる。フランシスコ法王は生命尊厳の観点から妊娠中絶に反対する考えを明言している。昨夜みたのが2007年のルーマニア映画「4ヶ月、3週と2日」(クリスチャン・ムンギウ監督)。カンヌ国際映画祭パルムドール。チャウシェスク政権時代の話。妊娠をした級友の違法中絶を手助けする女子大生の1日を追う、ドキュメント・タッチで臨場感がある。わが国では母体保護法で人工妊娠中絶が認められ、都道府県に母体保護指定医師がおかれている。諸外国ではキリスト教の思想などにより、いまだ人工中絶に反対する立場も根強くある。
キアヌー・リーブス、ブレイク・ライヴリー、ロビン・ライト、レベッカ・ミラー(監督)、ゾーイ・カザン
映画「50歳の恋愛白書」(2009)は豪華キャスト。といってもキアヌー・リーブス以外はあまり知らない。上の写真のほかウィノナ・ライダー、モニカ・ベルッチ、マリア・ベロ、ジュリアン・ムーアも出ている。製作総指揮がブラッド・ビット??。監督はレベッカ・ミラーが自身の処女小説を自らメガフォンをとり映画化。レベッカはダニエル・ルイスを夫に持ち、アーサー・ミラーが父親。アーサー・ミラーは「セールスマンの死」で知られる劇作家で、マリリン・モンローのご亭主だった人。ピッパーの娘を演じたゾーイ・カザンの祖父はエリア・カザン。
主演ロビン・ライトは当時43歳だったが、人生に疲れた50歳の女性を見事に演じている。夫にアラン・アーキン、若い恋人にキアヌー・リーブス、キアヌーの母で隣人にシャーリー・ナイトが出ている。覚醒剤や子どもが戦場カメラマンになり家出、老人ばかりのコミュニティ、刺青をした信仰心や優しい心のイケメンのコンビニ店員との恋、夫の浮気と心臓発作、前妻の自殺、自身の夢遊病など設定がかなり陳腐な感じがする。キャッチ・コピーが「女の人生を、もっともっと楽しむ方法」とあるが、男性の私にはあまり楽しめない映画だった。アラン・アーキン、シャーリー・ナイトなど別人かと見間違えるほどである。アラン・アーキンはピーター・セラーズのあと、クルーゾー警部を演じたことがある。シャーリー・ナイトも演劇畑の女優。この映画はハリウッドと演劇界との残滓のようだ。
本日は「月に吠える」などで知られる萩原朔太郎の1942年の忌日。朔太郎は群馬県前橋の出身。 「上州名物、かかあ天下とからっ風」古くから養蚕が盛んな上州では製糸に携わる働き手の多くは女性だった。利根郡月夜野村の農民・杉本茂左衛門は沼田藩主真田信利の悪政を幕府に直訴したことで知られる。和算の関孝和の実父、内山七兵衛永明は多野郡藤岡に住んでいた。中島飛行機の中島知久平、講談社の野間清治、「ヤナセ」の梁瀬長太郎らも群馬県の実業家である。田山花袋、土屋文明、萩原恭次郎、萩原朔太郎、山村暮鳥、佐藤惣之助ら作家・詩人がいる。福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫ら総理が出ている。その他、あだち充、小栗康平、糸井重里ら多彩。
アル・ジョルソン、メイ・マカヴォイの「ジャズ・シンガー」(1927)が世界初のトーキー映画。これはヴァイタフォン方式といって映写中に映画と同調された音声を収録したレコードを同時再生するものだった。だがサイレントの時代でも生演奏の伴奏音楽はあった。ひとりのピアニストとかオルガン弾きがいたり、大きな劇場では10人以上の楽団による適当な調べが流れた。やがて映画会社が音楽部を設立して、プリントと一緒に楽譜とその指示書をつきつけたところもあり、1910年代まで続いた。
1918年マックセネットが当時の人気女優メイベル・ノーマンを主演にした「ミッキー」が世界最初の映画主題歌であるとされる。作曲者は無声映画の伴奏曲を書いていた二ール・モレイで、このテーマ曲はこの作品の伴奏に使われて、宣伝に大いに効果を高め、ポピュラー・ソングとしても有名である。(Neil Moret,Mickey)
連続クイズ・ホールドオン(188)本日のクイズテーマは「春」。ボッティチェリの「春(ラ・プリマヴェーラ)」で中央に描かれている女神は誰てしょう?回答者は「わかりません」と。正解は「ヴィーナス」。なるほど。だがこの作品はヴァザーリが「春の象徴として、三美神によって花で飾られる」とあり、さまざまな登場人物の解釈が古来より行われてきた。絵画には8人が描かれているが、中央とは右から4人目の、やや奥まったところで威厳を見せて立っている女性のことであろう。赤と紺のマントを肩から掛けている女性が、愛の女神ヴィーナスであることに異論はない。しかし、この作品で最も目立つ位置にいるのはヴィーナスの右側に立つ、華麗な花々を纏った、花の女神フローラである。クイズの出題として不親切で、回答者にはわかりづらかったのではないだろうか。
「バックダンサーズ」(2006)を観る。平山あや、hiro、ソニン、サエコの4人のダンスが見所。スピードのhiroに想いをよせるDJの青年に北村有起哉が出演する。大河ドラマ「江」では豊臣秀次、「八重の桜」秋月悌次郎に出演しキャリアを積んできた。なんと名優・北村和夫の息子。そういえば声が似ている。40歳を過ぎて生まれたんだろうな。
コモン・マン common man とは「何の肩書ももたない人。普通の市民。平凡な人間」の意。この言葉の真意は日本人には分かりづらい。だがアメリカを考える上でとても重要なニュアンスを含んでいる言葉である。著名な歴史家ジョン・ウィリアム・ロードは1820年代から1840年代にかけてを「コモン・マンの時代」としている。もちろんすべての歴史学者がこの時代を庶民の時代と定義しているわけではない。このころアメリカはヨーロッパのような貴族的特権階級をなくして、単なる政治的民主制だけでなく、社会的、経済的な「諸階層の平等」(equality consciousness)を理想としていたからである。もちろん完全な貧富の差がなくなるわけではなくそれは神話にすぎないという学者もいる。コモン・マンの銅像をみるとサザエさんの磯野波平のような人物であろうか。
葛原しげるの童謡「夕日」。最初、「きんきんきらきら」であったが、小2の娘が「夕日は、ぎんぎんぎらぎら、でしょう」と言われて変更したところ、強い生命力を感じさせる名作となった。
ゴッホは生涯、孤独と貧乏との戦いであったが、皮肉にも、彼の死後、ゴッホの絵は高騰し、いまでは1点、数十億円の価格で美術商たちによって売買されている。日本でゴッホ展が開催されると、のべ100万人以上の入場者が見込まれる。歴史上の人物は2つに区別される。死後になって名声が高まる人と、生前に評価される人とである。ゴッホ、ゴーギャン、坂本龍馬は生前に栄光はなく死後評価された人であり、レンブラント、ピカソ、伊藤博文は生前すでに評価された人である。なぜゴッホや坂本龍馬の紙幣がないのかいろいろ考えてみた。真の芸術や偉業が民衆に理解されるには時間がかかることがその1つ。その2つ目は、貧乏であったり不遇であったり、生前に栄光に輝くことのなかった人はどんなに偉大でも、金運がなく民衆から嫌われ、紙幣としてふさわしくないというのが理由の1つかもしれない。樋口一葉のように貧乏で不遇でありながら紙幣肖像に選ばれたのはレアなケースかもしれない。
「歴史秘話ヒストリア」坂本龍馬暗殺の瞬間に迫る、最新研究から描くミステリー。龍馬殺害現場、近江屋の2階奥の8畳間は天井が屋根裏のため斜めに低くなっている。また掛け軸の残された血痕から推測すると、龍馬は正座したまま斬られたと考えられる。実行犯には諸説あるが、番組では佐々木只三郎ら京都見廻り組と断定している。佐々木只三郎に率いられた、桂早之助、渡辺一郎、世良俊郎、渡辺吉太郎、今井信郎らの犯行である。
なかでも桂早之助は西岡是心流の小竹刀(こじない)の使い手で、近年、龍馬を斬ったとされる小太刀が発見され霊山歴史館に保管されている。殺害の模様は大体次ぎの様であった。桂早之助は中腰で龍馬に近づき低い姿勢で小太刀を左から右斜めに龍馬の前頭部を斬りつけた。額が割れ脳漿と血が床の間の掛け軸に飛び散り、それを見て短刀を抜きながら立ち上がろうとした中岡慎太郎を渡辺吉太郎と世良俊郎が後ろから斬りつけた。慎太郎は全身に数回斬りつけられる。これを見た佐々木は「もう良い、もう良い」と言葉を残して近江屋から立ち去った。わずか数十秒の出来事と考えられる。桂早之助は剣術は優れていたが人を殺したのは龍馬が初めてであったという。
本日はヨーロッパ・デー。1949年のこの日、EUの前身、欧州石炭鉄鋼共同体が結成される。ヨーロッパの国連加盟国は40ヵ国あるが、欧州連合の現在の加盟国は27ヵ国である。ロシアはヨーロッパの範疇には入らないのが一般的な考え方である。フランスでは、ドイツを「中欧」、その以東を「東欧」と呼び、ロシアはヨーロッパの範疇には入らない。ところがドイツではフランスが「東欧」と呼ぶ地域までを「中欧」と呼び、ロシアを「東欧」と見なすようである。このような違いも1993年のマーストリヒト条約によって、ヨーロッパの統合が始まった。その後、EU(欧州連合)は拡大し、共通通貨ユーロや国境の検問が原則として廃止された。現在EU加盟国はクロアチアが加盟し28ヵ国となった。非加盟国は、ノルウェー、トルコ、北キプロス、マケドニア、アイスランド、モンテネグロ、セルビア、アルバニア、ボスニア、ヘルツェゴビナ、コソボ。ベルギーのヘルマン・ファン・ロンパウが欧州理事会議長。ニュースではEU大統領と表現されることもある。(European Union)
トム・クルーズが最新作「オブリビオン」のPRで来日。ドイツのテレビ・インタビューではケイティ・ホームズとの離婚について「予想もしていなかった。人生にはいろいろある」と語っていたが、タモリの「笑っていいとも」に出演するも、プライベートなことは一切ふれることはなかった。「100人中何人?」のコーナーで「エンパイア・ステート・ビルに行った人は何人」。お見事10人とズバリ正解だった。
1945年のこの日、ヨーロッパでの戦いが連合国の勝利で終了した。フランス映画「ルシアンの青春」(1973)の舞台は大戦末期のフランスの片田舎。ルシアンはふとしたことからゲシュタポの手先となる。ユダヤ人の美しい娘フランシスを助けようとスペインへの逃避行が始まる。戦後、ルシアンは戦犯で死刑となる。ナチの協力した平凡な若者の運命を狂わせた戦争の悲劇。日本の「私は貝になりたい」と同テーマとみることもできよう。フランスでは占領時代が長いだけに、親ドイツの一般人は戦後辛い人生を歩んだだろう。反ドイツになれば、レジスタンス、パルチザンに入れば命は保障できまい。非戦闘員であっても去就は難しい時代だった。美しい映像のためか反戦色はあまり強くないが、芸術的で好きな映画の1つ。ところでルイ・マル監督(1932-1995)は当時40歳くらい。25歳で「死刑台のエレーベーター」でデビューし、ジャンヌ・モローやブリジッド・バルドーの映画で知られる。この「ルシアンの青春」から以降はあまり話題作がなくなったのは、キャンデス・バーゲンとの幸せな生活が才能をむしばんだのだろうか。
ことわざは江戸時代に広まったものが多い。「犬も歩けば棒に当たる」出しゃばるとかえって災いにあう、というマイナス思考と考える人と、進んで何かにチャレンジすれば、思いがけない幸運に出会うというプラス思考にとる人がいる。ケペルは「犬も歩けば棒に当たる」とは積極的に行動して、幸運を追求することを言っているものだと考えていた。ところが「犬に論語」という諺があるのを知り、どうも江戸時代の人が犬をたとえにするのは悪い意味がありそうだと気づいた。「犬」は無知な者という意味を含んでいて、「無知な者に立派なことを言ってもわからない」ということから「犬に論語」が成り立つ。「犬も歩けば棒に当たる」は犬のようなものでも行動すればチャンスにめぐりあえる、解するのは近代的な解釈である、おそらく、行動を慎むような戒め的なことわざであったのではないだろうか。
You-Tubeで曲のタイトルで検索すると同じ曲を異なった歌手で聞き比べできる楽しみがある。「六甲おろし」は立川清登、唐渡吉則、どちらもいい。ザ・ピーナッツが歌った「大阪の女」も園まり、いしだあゆみ、テレサ・テンなど、小坂明子の「あなた」も天地真理、松田聖子、テレサ・テン、それぞれよい。洋楽では「慕情」をナット・キングコール、シナトラで聴く。フランク永井や美空ひばりもある。ウィリー沖山の「慕情」もある。「カサブランカ」の挿入歌「時の過ぎゆくままに」をフランク永井が歌っている。カヴァー曲の女王は弘田三枝子か。「渚のデート」は弘田と伊東ゆかり。ミーナの「砂に消えた涙」は弘田が本命盤だが、伊藤アイコ、竹内まりや、麻丘めぐみ、もいい。ダニエル・リカーリの「シェルブールの雨傘」はザ・ピーナッツ、いしだあゆみ、小柳ルミ子、麻丘めぐみ、岩崎宏美、木ノ内みどり、白鳥英美子など多数。「5月のバラ」も多くの歌手がカヴァーしている。もともとはブレンダ・リー来日のために作られた曲であり、「思い出のバラ」だった。尾崎紀世彦、布施明、鹿内孝、水原弘、菅原洋一、フランツ・フリーデル、松崎しげる、岩出和也、香西かおり、秋川雅史ら。印象としては塚田三喜夫か。
日本の歌謡曲をカヴァーしてアジアに広めたテレサの功績は大きいものがある。
いまネットで「砂糖菓子」と検索すると、桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」(2004)がヒットする。曽野綾子の「砂糖菓子が壊れるとき」(1966)は全文字入力しなければならない。新潮文庫も絶版になっている。筑摩書房の「曽野綾子・瀬戸内晴美集」(1976)には収録されている。大映で今井正で映画化されている。物語は孤児院で育った美しい肉体をもつ千坂京子がヌードモデルから女優へと成功し、大学教授、野球選手、作家などと男性遍歴をかさね、睡眠薬を飲みすぎて死ぬというストーリー。つまり若尾文子がマリリン・モンローで、ジョー・ディマジオが藤巻潤、田村高広がアーサー・ミラー。モンローの生涯を今の日本に舞台を設定した珍品といえる。実際のモンローは全裸のまま電話の受話器を握ったまま死んでいた。最後の恋人といわれてジョン・F・ケネディ大統領と電話していたやら、睡眠薬の飲み過ぎやら、その死因についてはいまだに謎に包まれている。
「華麗なる遺産」「トンイ」など日本でもお馴染みの韓国女優ハン・ヒョジュがプライベートな東京旅行。変装せずに地下鉄に乗車したが、周囲の人は誰も気がつかず携帯を見ている。韓国ではパパラッチでどこへも行けないけど日本だと自由行動できる。でもちょっと女優としてのプライドがあってファンがいないのは屈辱的である。写真のように美脚を晒しても誰もふりむいてくれないので憮然とした表情である。日本のマーケットは厳しい。
要するに韓流スターが騒がれるのは日本では男優だけで、女優はイマイチ人気がない。とても長澤まさみ、新垣結衣を凌ぐことはできない。ハン・ヒョジュのナチュラルな容姿が目立たないせいもあるだろう。女優らしくない庶民性が彼女の魅力なのだ。いまBSで放送中の「太陽を抱く月」のハン・ガインは黒目のはっきりした顔立ちで日本でも目立つだろう。韓国のオリビア・ハッセーといわれたのも10年も前。童顔のためか、奥様になった今も可愛い。
「♪いち、に、さん、ご~」と郷ひろみがコマーシャルで歌っている。「なぜ4(し)がないの」と不思議に思ったが、家内が「ご~、は5じゃなくてGO!よ」と。
世の中すべて数字である。野球は数字だらけのスポーツ。中村、谷繁の2000本安打達成は立派な数字である。小学生は百点満点をめざす。サラリーマンは営業成績のアップをめざす。人の一生涯の心拍数は平均25億回くらいだそうである。平均年齢を83歳として計算すると、
83×365.25×24×60×60=20億24万秒
生涯心拍数25億回で割ると
約1.05秒に1回の心拍
つまりヒトの1回の鼓動秒数は約1秒である。
「いち、に、さん」と数えると、元気になるのは、心臓の鼓動と同じテンポだからではないだろうか。
ワン、ツー、スリー one two three
アン、ドゥ、トロワ un deux trois
アインス、ツヴァイ、ドライ eins zwei drei
新島八重の最初の旦那は川崎尚之助。二度目が新島襄。有名女優の最初のご亭主はどんな人?
ヴィヴィアン・リー(左画像)は19歳で弁護士ハーバート・リー・ホルマン(1900-1982)と結婚。8年後に離婚。「オーケストラの少女」で一躍世界のアイドルになったディアナ・ダービンが結婚したのは20歳のときで、お相手はボーガン・ポールという無名の俳優(あちらでは知られていたのかも?)盛大な結婚式だったけど、3年で別れた。ジュディ・ガーランドも同年に結婚した。こちらはオーケストラを率いる音楽家デヴィッド・ローズ。ジャズの「煙が目にしみる」で有名。4年で離婚。イングリッド・バーグマンが選んだ相手はなんと妻子ある映画監督ロベルト・ロッセリーニ。やはり破局。
ブリジット・バルドーは18歳でロジェ・バディム監督と結婚したがのち離婚。オードリー・ヘプバーンが選んだ相手は3度離婚歴があるプレイボーイ俳優メル・ファーラ。浮気癖はなおらず離婚。サンドラ・ディーは歌手ボビー・ダーリンと1960年結婚。1967年離婚。スザンヌ・プレシェットはトロイ・ドナヒューと1964年に結婚。「恋愛専科」の美男美女カップルだったが1年ともたずスピード離婚。「偕老同穴」という言葉は英語にはないらしい。キーナ・ライトレイがジェームズ・ライトンと極秘結婚。末永くお幸せに。(first husband)
スペインで2002年のユーロ切り替え以前に発行されたペセタ紙幣において、肖像として採用された人物はかなりの数にのぼる。他国の者が見てもなじみのない人物も多い。有名な人ではピサロ、コルテス、フェリペ2世、セルバンテス、ベラスケス、ムリリョ、ファン・カルロス1世。コロンブスはイタリアのジェノヴァの生まれだが、1992年から2001年まで発行された5000ペセタ札に使用されている。女性の肖像紙幣はないようである。
500ペセタ札の美男子は誰であろうか。帽子と蝶ネクタイが特徴的である。カタルーニャの詩人ハシント・ベルダゲール(1845-1902)である。ジャシント・ベルダゲールとも表記されるが日本ではほとんど研究書がない。代表作は叙事詩「アトランティダ」。現在、住居が博物館として一般公開されている。紙幣がいつ頃使用されたものか正確にはわからないが、おそらく1980年前後であろう。(Jacint Verdaguer)
本日は国際ノーダイエットデー。イギリスのフェミニストのメリー・エヴァンス・ヤングが1992年に提唱。世間のダイエットへの心のプレッシャーに対抗し、ダイエットによる健康影響を訴える。女性のダイエットへの関心は1920年代、女性の社会進出に伴なって高まっていった。女性の性的魅力が重要となり、スリムで若々しいことが理想となった。1950年代からダイエットのためのエステと美容整形が行われた。
1960年代、モデルのツィッギーがブームとなり、若さとスレンダーを求め、女性は過激なダイエットを行うようになった。1970年代、拒食症や過食症が社会問題となる。ダイエット食が一般的に普及する。1982年ジェーン・フォンダのエアロビクスのビデオがベストセラーとなる。(Mary Evans Young,No Internationl No Diet Day)
佐藤春夫、1964年の忌日。佐藤は酒を飲まなかったようだが、女性遍歴に関しては華やかな話題が豊富である。「わが恋愛生活を問われて」(大正15年10月)の中に「僕の霊の上に影を宿している女は五人ある」と言っている。その五人が誰なのか、明言はしていないが、おそらく彼の作品に現われたる女性であろう。
「海辺の恋」「少年の日」の女性は、和歌山県立新宮中学校の先輩の妹である大前俊子である。おとぎ話のような「ありやなしやとただほのか」なはかなくも可憐な恋であった。
二番目の恋は、21歳の時。相手は青鞜社の同人である尾竹紅吉の妹・尾竹ふくみ。この女性については小説「観潮楼附近」にくわしく出ているが、「僕は足かけ三年思っていて、その人と口をきいたことは十ぺんとはない。(略)この人は、私に、常に人生になければならない憧れの要素を私の心のなかへ沁み込むませて消えていった、ちょうど暮春の夕ぐれのように美しく」とのべている。プラトニックラブで、このとき春夫は不眠症になった。
三番目の恋人は芸術座の女優であった川路歌子(本名は遠藤幸子、当時18歳)。彼女とは大正3年に本郷区追分町9番地に新居をかまえた。
四番目は女優の米谷香代子(まいやかよこ)。大正6年から大正9年まで同棲した。
五番目は小田中タミ。大正13年に結婚し、昭和5年に離婚している。
六番目は谷崎潤一郎の前夫人の石川千代。大正10年8月18日の所謂「小田原事件」を経過して、昭和5年8月、千代と結婚。佐藤春夫は大恋愛の末に苦労して手に入れた結婚であったため、千代夫人には生涯頭があがらず、尻に敷かればなしだったそうである。大正10年11月、「人間」に発表した「秋刀魚の歌」は千代に寄せる心情を歌っている。
午後から長嶋茂雄、松井秀喜の国民栄誉賞授賞式をテレビで見る。盛大で感動的な演出だったが、安倍晋三の背番号96が気になる。歴代96代首相だからというが、実は96条改憲のパフォーマンスではないか。
「足の速い者が競争に、強い者が戦いに必ずしも勝つとは言えない。知恵があるといってパンにありつくのでも聡明だからといって富を得るのでも知識があるといって好意をもたれるのでもない。時と機会はだれにも臨むが人間がその時を知らないだけだ。魚が運悪く網にかかったり鳥が罠にかかったりするように人間も突然不運に見舞われ、罠にかかる」(コヘレトの言葉)
聖書の第21番目の書「コヘレトの言葉」には人生のむなしさや死がいくども綴られており、夢も希望も与えられない。1世紀にヤムニア(ヤブネ)でユダヤ教の正典(カノン)が制定されたとき、旧約聖書から削除すべきか否か問題になった。しかし死という誰もが避けられない問題にとりくむことは有益で、この書が決して厭世主義や悲観主義ではないという結論にいたった。現代の高等批評の聖書研究家は、「コヘレトの言葉」が聖書の他の書からの直接の引用がないことや、聖書全体と調和していないことなどから、はるか後世の筆者が書いたものと考えている。
「コヘレト」とは固有名詞なのか普通名詞なのかも明らかではない。書には「ダビデの子」であり、「エルサレムでイスラエルを治める王であった」とあることからソロモンのことであることは明らかである。なぜソロモンと明記しなかったのかという理由もわからない。おそらく後世の聖書筆者がソロモンに擬して文学的虚構を成したものであろう。
他説では、「コヘレト」はヘブライ語「コーヘレス」という語をセプトゥアギンタ訳で「エックレーシアステース」と訳して以来、エクシア、すなわち集会で語る者という意味に解され、ルター以来Prediger(説教者)と訳されてきた。英語で「エクリシアステーズ」Ecclesiastesと訳される。欧米ではコヘルトをヘブライ語のカーハール(集会)と普通名詞と見る解釈が伝統的であった。しかし近年は「コヘルト」をほとんどの学者が固有名詞あるいはペンネームと見て、原語のまま「コーヘレス」と呼んでいる。日本語訳の聖書も明治以来「伝道の書」と訳されていたが、新共同訳(1987年刊行)から「コヘレトの言葉」に書名変更された。聖書の書名が変更されたのは「コヘレトの言葉」だけである。
ディアナ・ダービン(1921-2013)はカナダのウィニペグに生まれ、その美声を買われてMGMと契約。「エヴリー・サンデー」(邦題「アメリカーナの少女」)でデビュー。翌年ユニヴァーサルで「天使の花園」「オーケストラの少女」が大ヒット。天使の歌声をもつ少女として戦前日本でも大人気だった。ちなみに「オーケストラの少女」のオーデションには当時13歳だったマリア・カラスも受けたが残念ながら若すぎた。ウィンストン・チャーチルや田中角栄もダービンのファンだった。アンネ・フランクの隠れ部屋の壁には今もダービンの写真が貼られている。原節子はダービンより1歳上で「ためらふ勿れ若人よ」(1935)と同時期の銀幕デビューである。
ディアナ・ダービンは一過性の少女の魅力を100%発揮したスターだった。シャーリー・テンプル→ディアナ・ダービン→ジュディ・ガーランドと人気は移るが、元気で清楚、そして明るい歌唱力は現在のAKB48につながるアイドルの元祖といえる。(Deanna Durbin)
今も民衆の中に生きる道教の神々。人間に100の願いがあれば、それを専門にする100の神々が存在する。1000あれば1000、1万あれば1万の神々がいるとまでいわれる道教の神々。日本の端午の節句でお馴染みの鐘馗も江戸時代から疱瘡除けの神で知られているが、本来は中国の魔除けの神である。道教神では「辟邪神」と言って、石敢當、方相氏、門神、中檀元帥などと共に鐘馗が歳末に厄除けの神として、鐘馗の絵を護符として家の中に掲げる風習がある。このような伝説がある。
唐の玄宗皇帝が熱病にかかり、夢をみた。小鬼が香嚢や玉笛を盗んだが、突然大鬼が現われ、小鬼をとらえて目をえぐり、引き裂いて食べてしまった。帝が問うと、終南山の進士の鐘馗というもので、不慮の死を遂げたとき厚く葬ってくださった恩に感じ、帝のために邪悪を除く誓いを立てましたと答えた。その夢からさめると帝の病気はなおっていた。そこで、画家の呉道子に鐘馗の絵「鐘馗、鬼を捕らえる図」を賜ったという伝説が残されている。
鐘馗の容姿は人並みはずれて大きく、巨眼、ひげが多く、黒冠をつけて長ぐつをはき、右手に剣を握る。元来は終葵(しゅうき)といい、椎(槌の意)のことであった。椎は鬼を追いはらうものであることから、これを魔除けとするようになり、さらに擬人化し神格化して鐘馗になったという説がある。
1972年のこの日、市制施行により秋川市が誕生した。しかし秋川市という地名はわずか23年という短命で「あきる野市」に変更した。このように戦後、消えた市名はいくつかある。宇治山田(三重県)、高田(新潟県)、直江津(新潟県)、国分(鹿児島県)、鳴海(愛知県)、田無・保谷・村山・久留米(東京都)など。
老人が回想する2度と戻らぬ青春、みのらなかった恋の思い出、を題材とする作品は多い。映画なら「哀愁」「草原の輝き」、小説なら伊藤左千夫の「野菊の墓」。テオドール・シュトルムの「みずうみ」(1851)は実らぬ恋の元祖ともいえる。ラインハルトとエリーザベトは幼い時から親しい間柄であった。ラインハルトが大学に行っていたとき、エリーザベトはインメンゼー(イムメンゼー)の湖畔に土地を所有するエーリッヒと結婚していた。幾年か経ってラインハルトはこの2人を訪ねた。彼は再び彼女に会わぬことを心に誓って湖畔を去る。彼は一生涯独身ですごし、過去を思い出すのである。「インメン・ゼー」Immen-seeとは直訳すれば「ミツバチ湖」という意味だが、実際にある地名なのであろうか?いろいろ探したが、スイスに同名の村があるが、作中の湖とは無関係で、どうやら架空地名のようである。(Theodor Storm)
人の一生 かくれんぼ
あたしは いつも
鬼ばかり
赤い夕日の 裏町で
もういいかい まあだだよ
むかし日吉ミミの哀しくて切なげな歌がはやった。寺山修司はいう。「かくれんぼは、悲しい遊びである。かくれた子供たちと、鬼の子供とのあいだに別べつの秋が過ぎ、別べつの冬がやってくる。そして、思い出だけがいつまでも、閉じこめられたまま、出てくることができずに声かわしあっているのである」と。本日は寺山修司1983年の忌日。
ところで最近の子供たちはかくれんぼ遊びをあまりしないようである。少子化で同年齢の子供が近所にいないこともあるし、かくれんぼをするような適当な場所がないことも理由にあるだろう。しかしかくれんぼは世界でも最もポピュラーな遊びの一つだった。ハイド・アンド・シーク(イギリス)、カーシュ・カーシュ(フランス)、フェルシュテッケン(ドイツ)、エスコンディテ(スペイン)と呼ばれ「かくれんぼ」に類する遊びがある。中国では堤迷戯、迷蔵、迷朦などが「かくれんぼ」に当たる。モンゴルにはタルバカという遊びが行われている。タルバカはこの地方にすむイタチに似た動物で、これを追っかける犬をまねて遊ぶものである。お隣りの韓国ではどのようなものなのか知らないが韓国ドラマ「春のワルツ」を見ていると、日本と同じような気がする。ラストで次のようにある。
愛はかくれんぼのようなものです。見えないその人を、私の心が探し出します。だから永遠のかくれんぼはありません。いつかはその人を見つけ出せるから、春もまたかくれんぼのように、目には見えなくても、私たちのところにやってきます。だから、春は愛、春は許し、そして、春は希望の季節です。
寺山修司は「かくれんぼ」を秋と冬の季節に譬え悲観的であるが、ユン・ソクホは、本当に愛していれば二人は赤い糸で結ばれており、一生懸命祈れば愛する二人はいつの日かまた必ずめぐりあえる、というメッセージをしている。
ユーロ導入により2002年に市場から回収されたマルク札だが、紙幣に描かれた人物が誰かわかない。5マルク札は右画像のように上下、新旧2種ある。ドイツでは女性革命家クララ・ツェトキン(10マルク)、クララ・シューマン(100マルク)、画家マリア・ジビーラー・メーリアン(500マルク)と女性が紙幣モデルになることが多いが、新5マルク札は女流作家ベッティーナ・フォン・アルニム(1785-1859)である。夫のアヒム・フォン・アルニムも著名なロマン派の文学者。ベッティーナはゲーテの母親からゲーテの幼少期の思い出を熱心に聞きだし、ゲーテとの文通を虚構を交えて「ゲーテとある子供との往復書簡1794年~1805年」(1835)を著したことで知られる。なお旧5マルク札については沼辺さんのコメントをご覧ください。(Bettina von Arnim)
キリスト教の聖典、バイブルが欧米人に与えた影響は実にはかりしれないものがある。心の糧であり、信仰と生活の規範である。聖書の理解なくしては、彼らの思想、行動、生活をうかがい知ることはできないといっていいだろう。たとえば、子どもに名前をつけるときも、聖人や使徒にあやかってその名を用いる。ジョン(John)はヨハネ(Johannes)であり、メアリー(Mary)はマリア(Maria)である。その他、男ではアブラハム、ベンジャミン、デーヴィッド(ダビデ)、アイザック(イサク)、ジェームズ、ジョナサン、マーク、マシュー、ナサニエル、ピーター(ペテロ)、フィリップ、トーマスなど。女ではアンナ、エリザベス、グレース、オリーブ、スーザン、サラ、レベッカ(リベカ)などよくある名前は聖書に由来するものである。
ヴェロニカも聖人の名前である。エルサレムの敬虔な女性で、彼女がどういう境遇や生い立ちなのか詳しいことは分からない。重い十字架を背負ってゴルゴタの丘へと歩くキリストを憐れみ、泥と唾と血のしたたるキリストの顔を自分の額を覆っていた布で拭ってやった。イエスの眼には感謝の色が漂った。この話から、後世絵画や彫像で「ヴェロニカの布」として題材とされた。(Veronica)
4月29日に行われた「主権回復の日」の祝賀行事は天皇皇后両陛下も臨席され、厳かに式典が行われた。約40分の式典が終了し、天皇皇后両陛下が退場する際、会場から突然「天皇陛下万歳」の声が上がり、出席者390人のほとんどの者が、これに唱和した。菅官房長官は「天皇陛下万歳三唱は自然発生したもので、政府としては論評するべきではない」とコメントしている。テレビニュースでは万歳三唱の声が流れているが、政府の広報ビデオには「天皇陛下」の部分が聞こえず、消去したと思われる。式典は愛国心を高揚する目的で政府が天皇陛下を利用したものと見るべきで、想定外とみせているが、意図的な演出とみるべきだろう。
「天皇陛下万歳」とは、天皇に対する絶対的服従の表明の儀式である。戦争中の皇軍が玉砕の際に唱えて死んだ言葉でもある。「♪思えば昨日の戦いに朱に染まってにっこりと笑って死んだ戦友が天皇陛下万歳と残した声が忘らりょか」(戦友)
なぜ端午の節句に粽や柏餅を食べるのか。むかし関西では粽、関東では柏餅を食べるという傾向があった。もともと平安時代に中国から端午の節句が伝来したとき粽が伝えられた。粽は戦国時代の詩人、屈原の霊を慰めたのが由来とされる。汨羅(べきら)という河に身を投げた屈原が、魚に食べられないように、楚の人々が小船の上から供物を投げ入れて弔ったのがはじまり。ある日、屈原があらわれて「米を龍にとられてしまうから、今後は楝樹(れんじゅ)の葉でもち米を包んで、色糸で結んでいただきたい。この2つは龍が嫌うものだから」といった。これが粽のはじまりだといわれる。(「続斉諧記」)
柏餅の柏は昔から神聖な木とされていたことや、子孫繁栄に結びつけ、縁起のいい食べ物となった。
連続クイズホールド・オン(184回)の問題。「パンプキンパイとシナモンティーにバラの形の角砂糖ふたつ」(1979年)と歌っていた歌手は?ケペルは分らなかった。さだまさしである。歌詞の一部から何の曲がわかりますか。
①いろんな人を好きになり おそらくぼくは結婚する いつかバッタリ出逢ったら 友達みたいに話せるさ
②東京タワーで昔 見かけたみやげ物に はりつけていた言葉は「努力」と「根性」
③僕達は幸せになるため この旅路を行くんだ。ほら笑顔がとても似合う。
④日曜日の夜はベッドが広い 眠らない想い 抱いたまま朝を待つ
⑤サイコロ転がして1の目が出たけれど 双六の文字には「ふりだしに戻る」キミはきっと言うだろう「あなたらしいわね」と「1つ進めたらよかったじゃないの」
⑥人は悲しいぐらい忘れてゆく生きもの 愛される喜びも寂しい過去も。
答え①大江千里「格好悪いふられ方」(1991)②SMAP「がんばりましょう」(1994)③浜崎あゆみ「Voyage」(2002)④EXILE「Ti Amo」(2008)⑤斉藤和義「やさしくなりたい」(2011)⑥Mr.Children「Tomorrow never Knows」(1994)
ドラマ・アニメの中で美味しい食べ物が出てくる作品は必ずヒットするようだ。食欲は人間の3大本能の1つ。「冬のソナタ」でジュンサンは「トッポッキが好き」と言っていた。「家政婦のミタ」には「小倉最中」がよく出てくる。「あまちゃん」にも「うに丼」が出てくる。NHKプレミアムドラマでは真夜中だけに開く不思議なパン屋さんの物語。毎回、美味しそうなパンがアップで映されて食べたくなってくる。アイスといえば「ローマの休日」が有名だが韓国映画「八月のクリスマス」のアイスキャンデーも素敵なシーンだ。
若い駐車違反取締員のタリムのために写真屋ジョンウォンはアイスキャンデーを買う。真夏の昼下がり、一緒に木の下でアイスを食べる。
おでん…チビ太(おそ松くん)
ドラ焼き…ドラえもん
みたらし団子…ワンニャー(だあ!だあ!だあ!)
チリ料理…刑事コロンボ
どてカボチャ。能力のない者をあざけっていう語。役立たず。どてかぼちゃは土手の南瓜。昔、河川敷は誰の土地でもなかったため、貧乏人の糧や飢饉に備えたものとして土手に南瓜が植えられた。
おたんこなす。出来損ないの小さい茄子のことだが、元々遊郭の女性が嫌な客をこう呼んでいた。おたんちん(御短ちん)、つまり男性器が短小という意味で、おたんちんが変化して、おたんこなすが生まれた。どちかぼちゃと共に江戸の「しゃれ言葉」。
すっとこどっこい。相手を罵るときの慣用句。馬鹿野郎の意味。
20世紀から21世紀になって最初の10年があっという間に過ぎた。 「20世紀は戦争の世紀だった」というのが歴史の語るところである。だが映像の世紀だったともいえる。残されたフィルムはそれまでの時代よりも圧倒的に多い。これら20世紀の膨大なフィルムを全て見た人はいない。だが淀川長治という映画評論家の存在は世界でも稀有だという。淀川長治は1998年11月11日に東大病院で亡くなった。89歳であった。黒柳徹子は弔辞で次のように言っている。「生きた映画の図書館が一つ消えたようなものです」と。まさしく多くの世代の日本人が淀川という映画図書館から学んだように思う。岩波ジュニア新書の中に「淀川長治さんが愛した映画30」というリストがある。「黄金狂時代」「街の灯」「モダン・タイムス」「独裁者」「ライムライト」「駅馬車」「風と共に去りぬ」「我が道を往く」「我等の生涯の最良の年」「仔鹿物語」「赤い靴」「禁じられた遊び」「シェーン」「エデンの東」「旅情」「鉄道員」「戦場にかける橋」「ベン・ハー」「奇跡の人」「サウンド・オブ・ミュージック」「黄昏」「E・T」「ドライビング・ミス・デイジー」「ニュー・シネマ・パラダイス」「フィールド・オブ・ドリームス」「ドクター」「ギルバート・グレイブ」「フォレスト・ガンプ」「世界中がアイ・ラヴ・ユー」「桜桃の味」である。
30本のリストの中には淀川節の解説で見た映画も多く漏れている。おそらくとても入りきれないからだろう。「イントレランス」「散り行く花」「カリガリ博士」「戦艦ポチョムキン」「自由を我等に」「望郷」「嘆きの天使」「市民ケーン」「第三の男」「天井桟敷の人々」「わが谷は緑なりき」「カサブランカ」「自転車泥棒」「ローマの休日」「道」「第七の封印」「十二人の怒れる男」「死刑台のエレベーター」「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバコ」「大脱走」「真夜中のカーボーイ」「大理石の男」「ルードウッヒ・神々の黄昏」など。映画評論家としての淀川の功績は「みんなを喜ばせて、なおかつ作品の質が高い」ことを力説し、以前の大学美学系の映画評論家とは異なる大衆の映画ファンを大切にしたことであろう。テレビでの解説が洋画ファンの拡大になった功績は図り知れないほど大きい。ほぼ20世紀の映画を観た淀川であるが、最晩年の1998年、1999年度製作の映画は未見に終わったものもあるだろう。1998年の韓国映画「八月のクリスマス」は見ただろうか。「シュリ」「JSA」は見ていないだろう。以下、淀川未見の作品。「アメリカン・ビューティー」(99)「グラディエーター」(00)「ハリー・ポッターと賢者の石」(01)「ビューティフル・マインド」(01)「ロード・オブ・ザ・リング」(01)「マリー・アントワネットの首飾り」「シカゴ」(02)「ブリジット・ジョーンズの日記」(04)「パイレーツ・オブ・カリビアン」(03)、「ミリオン・ダラー・ベイビー」(04)「クラッシュ」(05)「ディパーテッド」(06)「ノーカントリー」(07)「スラムドッグ$ミリオネア」(08)「ハート・ロッカー」(09)、3D映像の「アバター」(2009)など。この中で「淀川の愛した30本」に匹敵できる作品があるだろうか。
問1.映画「カサブランカ」でハンフリー・ボガートが着ていたトレンチ・コートのブランド名は?
問2.チャップリンが日本に登場した初めの頃の呼び名は?
問3.「恋する惑星」「ブエノスアイレス」などの作品で知られる香港の監督は?
問4.カーク・ダグラスは長く活躍しながらオスカーに縁がなく、1995年に名誉賞が贈られた。「炎の人ゴッホ」(1956)でゴーギャンを演じて助演男優賞を受賞した俳優は?
問5.早川雪洲がハリウッドで撮影中に使用していたことから、「セッシュウ(Sessue)」と呼ばれたあるモノとは何?
問6.アメリカの映画産業の中心地ハリウッドに対抗して、インド・ムンバイの映画産業全般につけられた名称は?
問7.1930年代、トーキーが普及する中、サイレントにこだわりをもっていたチャップリンが意味不明の仏語で「ティティーナ」を歌い、はじめて肉声を披露した1936年の映画は?
問8.宮藤官九郎の映画監督デビュー作は?
答え:問1.アクアスキュータム。問2.アルコール先生。問3.ウォン・カーワイ。問4.アンソニー・クイン。問5.踏み台。問6.ボリウッド。問7.モダンタイムス。問8.真夜中の弥次さん喜多さん。(Aquascutaum,Charles Chaplin)
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