奥の細道・尾花沢
まゆはきを俤にして紅粉の花
芭蕉は、旅の楽しみを笈の小文において、「山野海浜の美景に造花の功を見、あるいは無依の道者の跡をしたひ、風情の人の実をうかがふ。(中略)時々気を転じ、日々に情をあたらむ。もしわづかに風雅ある人に出合たる、悦かぎりなし」と述べている。つまり、①神の造り出した美しい景色を見ること、②一切の執着を捨てた仏道修行者の旧跡を尋ねること、③歌人の感動を追体験すること、④片田舎で俳諧に志ある人に出会うこと。の4つの楽しみである。
たとえば芭蕉の代表的紀行文「おくのほそ道」の尾花沢で紅花大尽、鈴木八右衛門(1651-1721)のことが記されている。八右衛門は、清風として俳諧を親しんだ。芭蕉と曽良は旅の途中、尾花沢の清風のもとに10日間も滞在し、句会を開いたり、山寺に遊んだりしている。元禄2年(1689年)旧暦5月27日(現在の7月13日)のことである。
句の大意。尾花沢の名産である紅の花を見ていると、女性が化粧につかう眉掃きを想像させるあでやかさを感じる。
八右衛門には次のような逸話がある。あるとき江戸の商人たちが不買同盟をし、紅花の荷が宙に浮いてしまった。そのとき彼は、それではと品川の浜でその荷を焼いてしまった。(実は紅殻を古綿荷だった)それが知れ渡るとたちまち紅花の値はハネあがり、それをまって本物の紅花を売って大金を手に入れた彼は、かの吉原の大門を閉めきって豪遊した噂は江戸の巷に流れ、みんな紅花商人の気風のよさに舌をまいた。
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