川崎尚之助
NHK大河ドラマ「八重の桜」ドラマは八重が兄の勧めで川崎尚之助と結婚する。これまで洋学者・川崎尚之助(1836-1875)のことはほとんど知られてなかった。新島八重の最初の夫であり、会津の籠城戦のさなかに逃亡した、という不名誉な評価があった。しかし近年の調査によると、敗れた会津藩が移った斗南藩(現在の青森県)に関する公文書のなかに、尚之助が会津藩士と共に仲間と行動していたこと、食糧難に窮する藩のため奔走していたことが明らかになった。そして外国米を調達するために、トラブルにまきこまれ、東京での裁判中に肺炎にかかり、明治8年に40歳の若さで死去している。郷里の出石では尚之助を偲んで数年後に墓碑が立てられていた。現在はなくなったが、昭和40年代までは存在していたことが確認された。
願成寺(出石町東條)にある「墓籍明細簿」には明治8年3月20日の川崎尚之助の忌日が記されている。
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コメント
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事実は違ったという話・・。
本人に尋いてみなくてはわからない噂話なんてごまんとありますね。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年4月 1日 (月) 14時56分