チンドン屋
近年はあまり見かけることは少なくなったが、人目につきやすい格好をして、太鼓・三味線・ラッパなどを鳴らしてながら、大道で広告・宣伝をする人を「チンドン屋」という。言葉は明治初期からあるらしく、「チンドン屋よろしく大道飴売」と新聞の見出し(郵便報知新聞1878.12.11)に見える。だがこれは自前の飴を売り歩くためのものであり、広告請負業の現在のチンドン屋のルーツとは言えない。明治20年に大阪で芝居の口上である「東西、東西」を用いて丹波屋久里丸が豆や栗の宣伝を行った東西屋がチンドン屋の始まりかもしれない。また明治18年に高坂金兵衛が「ひろめやという商売をはじめ一日に百人くらいのルンペンを集めて行列をつくり、先頭と後部に旗を立て、囃子をなかに入れ、ドンチャンドンチャンと、主として化粧品などの宣伝をしたのがはじまりである」とある。(日置昌一「ものしり事典」)全国各地にチンドン屋が出現するのは大正末期ごろ。戦後のサンドイッチマンはチンドン屋の分化である。
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