大倉喜八郎略伝
1928年のこの日、大倉喜八郎の忌日。「政商」という言葉があるが、明治時代、金のあるところといえば政府であり、その政府は民業を発達させるために積極的な助成をおこなっていた。したがって旺盛な企業精神をもつ者が事業の発展をねらって政府に近づくのは当然ともいえた。大倉喜八郎(1837-1928)は政府の御用商人として一代で財閥を築き、渋沢栄一(1840-1931)と並ぶ明治・大正の実業家である。号は鶴彦。
越後(新潟県)新発田に生まれ、18歳で江戸に出た喜八郎は、鰹節店の商売見習から身をおこし、21歳で独立、乾物店、銃砲店、貿易店など開業。戊辰戦争、台湾征討、西南戦争、日清・日露戦争で軍需品の調達・輸送に当たり巨利を得た。また明治20年はじめころ、東京電燈会社設立、札幌麦酒醸造所の払い下げ、帝国ホテルの設立などを事業を拡大していった。明治35年、日本人として最初の対華借款を結び、これを契機に朝鮮・中国・満州に軍事力を背景とする貿易・現地事業を行なった。土木事業としては、鹿鳴館の建設をはじめ、日本土木会社、大倉土木などを経て、さらに大成建設(株)へと展開する。教育にも関心を示し、明治31年大倉商業学校(大正7年、大倉高商、現在の東京経済大学)を設立している。現在、神戸市中央区楠町にある大倉山と呼ばれる公園と文化施設(神戸中央図書館、文化ホール)のある一帯は、もともと大倉喜八郎の別荘跡地である。
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コメント
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軍と結んで巨万の富を築いた大倉喜八郎・・軍需産業も似たようなもので、アメリカは地球のどこかで戦争がないと、アメリカの産業が成り立たないといわれるのも、頷ける話。
(*^-^)
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年4月22日 (月) 08時15分