阿野廉子と隠岐
1359年のこの日、阿野廉子の忌日。後醍醐の隠岐配流の期間(1332-1333)、寵妃の阿野廉子(1301-1359)がお供していた。おそらくこの1年間に、生涯を結ぶきずなとなる愛情が2人の間にできたのではないだろうか。
隠岐の月の出は遅く、あたりは漆黒の闇に包まれている。その間にまぎれるようにして、黒木の御所から慌しく一丁の輿が担ぎ出された。当然、御所警固の侍が怪しんで誰何する。駕籠から顔を出したのは廉子だった。日頃は取り澄ました廉子があでやかに微笑みかけて「ちょっと侍女のお産見舞いに行くところなの」と言う。どぎまぎした警固の侍はそれ以上の吟味もせず、うっかり通してしまった。ところがなんとその輿には、廉子とともに後醍醐が息を殺して身をひそめていたのだった。廉子の機転で後醍醐は無事、隠岐を脱出できた。
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