草上の昼食
エドゥアール・マネは自分を革命的な画家とは考えず、過去の巨匠たちの足跡を踏襲しているだけだと思っていた。スキャンダラスとなった「草上の昼食」も古典的主題を現代化して表わそうとしただけである。絵は1863年のサロンに落選し、マネはショックを受け傷ついた。サロンは応募された5000点の半分以上が落選したので、落選した画家たちが騒ぎ立て特選者の特別展が開かれることになった。審査員が正しいのか、それとも画家たちの不平が正当なのか世間が判断する機会が与えられた。マネの絵もセザンヌやホイッスラーといった画家の作品と並んで掛けられた。落選者展はひじょうに多くの観衆を集めた。人々はもっぱら嘲笑するためにやってきたのだが、マネの作品はそれ以上に怒りを買ってしまった。現代風のスーツを着た男と裸の女性というシチュエーションが、当時のフランスでは不道徳な絵と見なされる。それまで裸体の女性を描く場合は、神話的世界の女神に限るとされていた。公的な評価を得たいというマネの気持ちに反して、心ならずも彼は、まもなく反逆的な芸術家の一派のリーダーと見なされるようになった。マネは美術史のうえで印象派の中心的存在とされるが、実際は印象派と一定の距離を置き、サロンでの評価に拘り続けていた。
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