1839年のこの日、欽差大臣の林則徐(1785-1850)は広東でアヘンの吸飲・販売を厳禁し、密輸入された外国商人のアヘン2万箱を没収し焼却し、外国アヘン商人を国外に追放した。こうした措置に反対したイギリスはネメシス号など16隻の軍艦、輸送艦27隻の艦隊を派遣してアヘン戦争が始まった。戦況はイギリス軍の圧倒的優勢で推移し、近代的な兵器を備えるイギリス軍の強さを目の当たりにした道光帝は林則徐を罷免し、停戦に持ち込んだ。戦後ゆるされてふたたび政治の要職についたが、太平天国の乱をおさめにむかう途中、病死した。
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