16世紀地図にみえる日本
14世紀マルコ・ポーロが「東方見聞録」で伝えた黄金に富むジパング(日本)は魅力的だったようで、その場所が確認されない段階で地図上に現れる。1492年のマルチン・ベハイムの地球儀でも、その位置と姿が明確に与えられている。この1492年はまだコロンブスの情報は反映されておらず、そのかわりに巨大な島ジパングが存在する。1546年のセバスチャン・ミュンスターの「新大陸図」(上の画像)では北太平洋に浮かぶ大きな島ジパングリzipangriとして描かれている。16世紀末のオルテリウスの地図帳中のテイセラ日本図(1595年)では日欧の交流が活発になったので、蝦夷は未記入だが明らかに日本とわかる姿にまで進歩している。西洋人が日本図の正しい姿を知るのは、伊能忠敬の実測日本図をシーボルトが持ち帰る、19世紀前半を待たねばならない。(参考:織田武雄「古地図の世界」 1981年) Sebastian Munster,Ortelius,Teixeira
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