立原道造忌
1939年のこの日、詩人立原道造の忌日。立原は白樺と落葉松林に囲まれた亜高山植物の咲く信州浅間の高原で詩的夢想と少女への愛を育んだ。村の旧家の少女関鮎子、大学の友人柴岡亥佐雄の遠縁の美しい姉妹の妹横田ケイ子、松竹歌劇団のプリマ北麗子(今井春枝)。 これら三人の少女との夢想の愛が終わったとき、立原の前に現れた新しい少女が水戸部アサイだった。
昭和13年の春、立原道造は建築事務所に働く19歳の水戸部アサイと出会った。明るくて健やかで、詩人が「薔薇色の少女」と呼んだ彼女は、栃木県藤岡町赤麻の旧家の娘だった。初夏、二人は軽井沢に遊ぶ。しかしこの頃道造はすでに肋膜をおかされて、7月、ついに休職。信濃追分で静養のひと夏を送る。
昭和13年の初秋から冬へ、立原はその文学と人生を賭けて東北から九州への長い日本列島縦断紀行に旅立つ。しかし、年の暮れ、長崎で倒れ、アサイの献身的な看護にもかかわらず、翌昭和14年、24歳の生涯を閉じた。

水戸部アサイ 1919-1995
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立原道造の詩は詩らしい詩。
欧米詩を日本語として消化できたかできないかの時期の日本語としての欧米詩の頂点に位する作品でしたね。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年4月10日 (水) 00時08分