ゴッホをめぐる3つの謎
ゴッホといえば「ひまわり」が有名だが、戦前にもゴッホの向日葵の絵が日本にあった。大正9年に芦屋の実業家・山本顧弥太が金2万円で購入した。だがこの絵は第二次世界大戦の空襲で焼失し現在はない。山本が購入したころ欧米ではゴッホブームが起こり、贋作が多く出回っていた。芦屋の向日葵は本物なのか、贋物なのか、いまも真贋論争が続いている。
ゴッホはゴーギャンとアルルで共同生活をおくったことがある。個性の強い2人は喧嘩がたえなかった。ゴッホは自らの耳を切り、娼婦に耳を贈り物として届けたといわれる。実際には、切ったのは耳ではなく耳たぶの一部だった。最近ではゴッホが自ら耳を切ったのではなく、ゴーギャンがフェンシングの剣でゴッホの耳たぶを切り落としたという説がある。
1890年7月27日、ゴッホはピストルで自殺したといわれる。だが経済的に苦しかったゴッホがどのようなルートでピストルを入手したのか明らかではないし、肝心のピストルが発見されていない。最近は自殺ではなく、事故死だったという説がある。ゴッホは10代の少年とカウボーイごっこをしていて、その際、少年の1人が持っていた整備不良の銃が暴発して、ゴッホの腹部にあたって重傷を負った。ゴッホは若い2人をかばうため自殺説をあえて否定せず、2日後にそのまま命を落としたというのである。自殺説でなく、他殺説、あるいは事故死だと「炎の画家」のドラマチックな人生の幕切れがインパクトが弱まるので、関係者は否定している。生前に注目されなかった人物が死後有名になると、すべて人生をドラマチックに飾りたくなるものらしい。ゴッホの人生もかなり粉飾されている。(Gogh)
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