啄木と及川古志郎
盛岡中学校時代の石川啄木は、英雄ナポレオンが好きだったが、やがて一年生の頃から二年生にかけて、海軍士官の方へ心を引かれていった。三年生の石川は同級生の石掛友造とともに五年生の及川古志郎(1883-1958)、吉田初五郎、田子一民らの指導を受けて文学的な知識を養った。そして及川の紹介で野村長一(胡堂)、金田一京助(花明)ら、盛岡中学における代表的な文学青年と交わった。啄木は風采の堂々とした及川と得意となって歩き、同級生に「一さんは及川のP (かわいがられ者の意)だ」などとやじられたりしている。啄木は軍人にあこがれて、古志郎を訪問してその指導を受けた。しかし小柄な啄木にはその道が向いていないことを諭したといわれる。
この啄木に文学的影響を与えた及川古志郎はのちに海軍兵学校を出て海軍大将、海軍大臣になっている。とくに昭和15年9月、日独伊三国同盟問題の紛糾で辞職した吉田善吾に代って、第2次近衛文麿内閣の海相となり、従来の海軍の三国同盟の消極的姿勢を捨て、同盟の締結に同意した人物として歴史にその名を残している。
盛岡中学の出身の二人を比べて、山田風太郎は「今日啄木が天才歌人として不朽の名声を得ているのに反して、及川古志郎は誰一人省みる者はいない。生きているうちは優勝劣敗の法則が適用されても死後まで見とおすと、必ずしもそうではないのが人間世界の面白さである」と書いている。
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