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2013年3月28日 (木)

鑑三忌

Photo_5      明治・大正期のキリスト教の代表的指導者・内村鑑三(1861-1930)の忌日。内村はどの教会にも入らず、聖書の教えに忠実に行動した。

    正宗白鳥は「何処へ」(1908)などで自然主義作家として認められたが、昭和期になると評論が活動の中心となる。人生に対しても文学に対しても批判的、懐疑的な傾向が強く、「永遠の懐疑者・傍観者」といわれる。戦後にも小説や回想的評論が多く、生命の長い文学者である。

    正宗白鳥、本名は正宗忠夫は、明治12年、岡山県和気郡穂浪で生まれた。13歳のとき、民友社の「国民の友」を愛読し、はじめてキリスト教の存在を知る。15歳のとき、香登村のキリスト教講習所に通う。ついで岡山市に寄宿、病院に通うかたわらに、米人宣教師の経営する薇陽学院(米国より帰国した安部磯雄が主座教論)で英語を学ぶ。同時に、孤児院の院長の石井十次より聖書の講義を聞いた。明治29年、17歳のとき、東京専門学校英語専修科に入学。毎日曜、市ヶ谷のキリスト教講習所で植村正久の説教を聞く。夏、帰省の途中、興津で開かれたキリスト教夏期学校に出席、内村鑑三の風貌にはじめて接し、その連続講演「カーライル」を聞く。明治30年、受洗。明治31年、神田の基督教青年会館で、鑑三のカーライル、ダンテ、ゲーテ、ホイットマンなどに関する文学講和を聞き、深い感銘を受ける。7月には東京専門学校英語科卒業。ついで新設の史学部に入学。主任は熊本バンドの浮田和民である。明治34年、24歳、このころから次第にキリスト教から離れた。

    正宗青年が見た内村鑑三の印象を拾い出す。「当年の内村は、文章よりも演説に於て、一層よく自己を発揮していた。聴者を感動させる力を持っていた。それで、青年会館に於ける若き内村の文学講演は、歌舞伎座に於ける老いたる団菊の所作以上に私を陶酔させたのであった」「内村の風貌は凡ではなかった。奇異な感じが与へられた。演説する時には聴者を圧迫するやうな威力を放っていた。若し俳優であったなら、仁木弾正に扮して得られさうであった。」「内村は鼻が高く、眼底に威力の潜んでいるらしい所幸四郎と一味相通ずるところがあったと、私は空想している」「私が講壇に於て、著作に於て彼に接し、彼に親しみ、彼の感化を受けたのは、彼の前半生のうちの数年間だけで、後半生の「聖書の研究」時代の彼については全然縁がなくって、今度全集を読んで、はじめてその一端を伺っただけである。そして、彼独自の新旧約聖書の研究が、彼の一生の本当の事業であり、他は詮じつめると、余技であり余興であったのではないかと、私には思はれ出した」「内村は聖書をThe bookであると云った。書中の書である。唯一の書であると云うのだ。西洋文学から聖書を取除くのはあたかも人間の身体より神経も若しくは血管を取除けるのと同じだと云った」「内村は、天性人と調和し難い素質を有し、熱心な基督信徒でありながら、どの基督教会にも属せず、終始無教会主義を主唱していたほどの反抗児であったが、基督教そのもの、聖書そのものには絶対従順に服従して、長い生涯の間懐疑の念に襲われたことはないやうであった。戦争に反対はしたが、教育勅語に説かれているような東洋道徳日本思想に反抗していたのではなかった。彼は教育勅語に形式的に礼拝していなかったにしろ、その勅語の精神はこれを服膺することを公言し、世の教師学生などが御真影や勅語の文字には礼拝しながら、日常、勅語の精神に違反していることを憤っている。教育勅語の説く所の道徳訓については、彼は何等懐疑の念を持っていなかったやうである。勅語の所説は、人間の奉ずるべき道として是なりと信じていたことは、時々現された彼の感想に依って察せられるのである。彼は福沢ほども、時代に対する精神的反逆者ではなかった。彼には、俗人福沢ほども思想の新しさはなかった。彼は政治家や宗教家や一般日本人の腐敗堕落は一生を通じて憤慨していたが、武士道や東洋道徳にまだ未練を残して、時時は旧い型の道徳を推讃していた。東洋豪傑の西郷隆盛を讃美したり、ファッショの日蓮上人を推讃したり、貧乏性の上杉鷹山を祭り上げたり、私はそこに内村の人生鑑賞の古さを見る。カーライルによって歴史修行をした彼には似合わないことである。内村だけではない。あの頃の日本人の秀才には、その頭脳の半面に甚だしい古さが潜んでいる。鴎外然り、漱石然り、本当の頭の新らしかった人と云うと、それより一時代前の福沢諭吉たった一人であったようだ」(参考:正宗白鳥「内村鑑三」細川書房 昭和24年)

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コメント

漱石、鑑三など見ると、欧米に留学したりした者がかならずしも考え方が新しいとは限らないということですよね。

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