ゴッホの贋作
ゴッホの膨大な作品の整理には、オランダの作家で批評家のジャコブ・バート・ド・ラ・ファイユ(1886-1959)の仕事が際立った貢献を果たしている。彼は1928年に「ゴッホカタログ・レゾネ」(類型別全作品目録)を出版したとき、すでに真贋の怪しい絵が含まれていたことを認めている。真筆とみない作品が1930年の版では、33点であったものが、のち47点にまで増えている。
芦屋の綿商の山本顧弥太がスイスから購入した暗い背景のヒマワリ(F459)も真贋のはっきりしない作品の一つであった。京橋の星製薬階上の展覧会へ行った岸田劉生は複製画を見て感動したゴッホを実物を見たら何の感動も起こらなかったという印象が不思議である。オスロ国立美術館のゴッホ自画像(F528)も研究者の多くは贋作であると考えている。1920年代にはゴッホの生涯が知れ渡り、作品そのものがブランド化してしまったのである。
« 帰ってきた大岡越前 | トップページ | 日本におけるGoghの表記 »
「ゴッホ」カテゴリの記事
- 日本で観れるゴッホの作品(2019.02.04)
- 印象派と鉄道(2014.12.18)
- 「炎の画家」でないゴッホ像(2014.03.06)
- フィンセント・ファン・ゴッホ その名前の足跡(2013.11.09)
- ゴッホ2題(2013.09.10)
コメント