「或る女」の埋葬許可証
有島武郎の小説「或る女」の女主人公・早月葉子のモデルといわれる佐々城信子(1878-1949)は、昭和8年、55歳のときに、栃木県真岡にやって来た。信子の妹よしゑが、真岡で木綿問屋を営んでいた岡部完介に嫁いできたのが縁らしい。信子は武井勘三郎との間の子である瑠璃子を連れて2人で生活していた。現在、岡部記念館金鈴荘(栃木県真岡市荒町2162)の1階奥に住まいしていた。岡部農場で苺作りをしていたという。戦後、岡部家が没落すると、2人は金鈴荘を追い出された。夫の武井勘三郎はすでにこの世の人ではなかった。信子はクリスチャンとして聖書を手から離さず、清く簡素な生活を送っていた。町役場の厚い帳簿には、死体埋火葬許可証の写しが綴じられていた。
本籍 東京都中央区室町1丁目5-6
住所 栃木県芳賀郡真岡町大字荒町2162番地
生年月日 明治11年7月30日
死因 老衰症53日、肝臓炎15日
死亡場所 前記住所に同じ
埋火葬場所 町立火葬場
信子の子である瑠璃子はその後どうなったのか知らない。一説によれば、女優の星由里子と瑠璃子とは従姉妹であるともいわれるが、真偽はわからない。
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