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2013年3月29日 (金)

田沼意次と稲荷信仰

Photo_6   江戸は「伊勢屋稲荷に犬の糞」と言われたほどに、「お稲荷さん」が多い。一つの町に少なくても1社、たいていは2~3社あったし、大名や旗本の屋敷の邸内にも屋敷神と称するものがあり、数えあげれば数千になる。本来は稲の神としての農業神だが、中世以降より食物儀礼の神として広く信仰され、江戸では商売繁盛の神、町内安全の神となった。とくに江戸に稲荷神社が多いのは、田沼意次が紀州藩の小姓から老中にまで出世したのは屋敷に稲荷が祀ってあったからという評判が広まり、明和・安永年間(1764-1781)に居宅に小祠をもうけ稲荷を勧請する武家が多くなった。これが庶民に広がり稲荷信仰が大層盛んになった。お稲荷さんのお祭りは2月最初の午の日、初午で、この日は朝からやかましい。江戸には数え切れないほど稲荷があるうえ、この祭りは大人を脇に子供が主催者として働くことになっているので、太鼓は叩き放題、囃し言葉を唱えながら町を練り歩く。

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